2015年5月29日金曜日

現在開店準備中

もうすぐNZの極うまコーヒーが日本に上陸します。

��Zって羊や氷河、大自然に牛乳、いろいろ思いつく事ありますね。

僕がこれから展開していくこのサイトは、NZの素晴らしいコーヒー文化を

少しでも日本にいる方に伝えたい!

世界にはもっと”うまい”コーヒーがまだまだあるんだ!!ってね。

もうしばらくお待ち下さい。

ミッキー

冬のタカプナ

SIERRA LATTE先週金曜日にオークラン;ノースショアのタカプナに打ち合わせを兼ねてSIERRA Cafeに行って見た。
その閑散たる金曜日のランチに驚いた。週末は冬でも地元の人で混雑するこの有名なCafeも”冬のよく晴れた金曜日”のランチは悲惨。
冬の海沿いって、ドライブには最高だし、海も夏より綺麗で、つい行きたくなってしまう場所なのに?
やはり景気が反映してるのかな?日本の湘南や葉山あたり、またはお台場等は冬でも混雑しているのだろうか?とふと思い出した。
でも料理も美味しかったし、コーヒーも上手で個人的には満足。
店内に響き渡る僕達のこのサイトの最終打ち合わせ(日本語)が余計閑散さに拍車をかけた。

ドリンクメニュー

FlatWhiteまずはニュージーランドのCafeのコーヒーメニューを紹介していきます。国民的ドリンク!そうフラットホワイト。これについては説明する事もうありません?というか、あまりにも多すぎて、テクニカルに言い過ぎてしまうので写真でご紹介。

ドリンクメニュー

Choco Flat White
次はエスプレッソのクレマのトップにチョコレートパウダーをふりかけ、ミルクの動きを更に表現したもの。

ドリンクメニュー

Capuccino
今度はカプチーノ。NZのカプチーノはトップにチョコレートをかけます。
老若男女、甘い物が好きな国民性かも?
あまり言いたくないが、痩せてる人は少ない。

一日10杯のコーヒー

一日10杯のコーヒー
皆さんは1日に何杯コーヒーを飲まれますか?
世間で言われているのは、コーヒーはがんの予防になる!とか、女性は特に内臓系の病気にかかるので1日3杯のコーヒーは予防になる!、ブラックで飲めばカロリーゼロでダイエットにいい!...............いろんな説がありますよね。どれもたぶん科学的に立証できる物でしょう。
僕はとにかく、ただ”好き”なんだと思います。
好きな物でも”ちょっと10杯は多いかも?”ってたまに思いますが。
何故好きになったか?
理由は単純。酒が飲めないから。もっと詳しく言うと、学生、社会人時代(今も社会人ですが)酒を飲む訓練(コンパ、打ち上げ、商談、上司の子守?)をしてきましたが、一向に強くならない。そこで、「よし!今晩から寝る前にバーボンでも軽く飲んで、今日一日を振り返って寝よう!」的に始めた名づけて”バーボンナイト”。
ところが弱い自分が”ロック”でバーボン。飲めるわけがない。毎日飲み干す前にZZZ〜ZZZZ〜。
そこでこれじゃ大人の男の夜の楽しみは作れない!そこで次に始めたのが、”コーヒーナイト”。あれからもうすぐ20年。よく続いている。

エスプレッソ文化

エスプレッソってもちろん”Espresso”だからイタリア発祥の飲み物。コーヒーの歴史は南イエメンの羊飼いに起源があり、その後トルココーヒーとして今の原型”コーヒー”(飲料)をなしたのです。トルコはその位置的な関係からヨーロッパとアジア、アフリカの中間に位置した事からもトルココーヒーは瞬く間に世界中に広がり(といってもヨーロッパ中心)イタリア、フランスでCafeが発展したように、国民的飲み物へと定着していったのです。
知らない人も多いですが”カフェ・ラテ”はイタリア語、”カフェ・オーレ”葉フランス語で、どちらも牛乳たっぷりのエスプレッソコーヒーの事です。
イタリア人の友達にイタリアでのラテ、カプチーノ、エスプレッソの違いを聞いてみると、ラテは”でかい入れ物にエスプレッソを入れて、暖めた牛乳を入れたもの”、カプチーノは”エスプレッソに泡立ったミルク”(といってもどうやら小さめのカップに沸かしたミルクを入れて、少し上に泡が立つ感じ)、そしてエスプレッソはご存知”小さいカップに入れたブラックコーヒー”。本場イタリアの家庭では、Cafeで飲まれているコーヒーとは”少々?大きく違う”みたいです。
まあ、一杯の値段が違いますからね。
やはり商業的に発展したこのエスプレッソ文化!でも、本場でもこのトレンドは影響を受けており、本場イタリアのプライドにかけて商業的にも発展しつつあるようです。

モカラテ

モカラテこれがモカラテ。モカチーノよりチョコレートミルクが多くて、たっぷり飲みたい人向け。ホットチョコレート(厳密には甘味は控えめ)に苦めのエスプレッソが入ったコーヒーが苦手な人でも楽しめるドリンク。

新しい仕事

不動産販売5年やってきたレストランを売って、新たな分野に進出した。実は数年前から不動産に興味を持ち、最近不動産屋で働き始めた。実は、NZは不動産先進国。日本の常識とははるかに違う”投資”としての不動産売買が日常頻繁に行われている。一般の例えばサラリーマンも家を買い替える事で財を成していっている。もちろん、日本のような”先祖代々”みたいな感覚はそこには少ない。”家は一生の宝”みたいな考えは薄い。そして、車を買い替えるように家を買い換える。
なぜなら、それは子供の成長に合わせて、家族構成に合わせて、リタイアした後のライフスタイル、それぞれの目的に合わせて”家”を移り住む。
”家”は住む為の”手段”のような物。まさに”車”なのです。

このトピックは、サイトの”箸休め”的な意味で(コーヒーの事ばかりなので)続けていこうと思います。もしかしたら、皆さんの中でNZに移住、または投資に興味のある人がいるかもしれませんので。

ミルク?って違うの??

スチームミルク
これは以前SIERRAで働いていた時に痛切に感じた事ですが、ニュージーランドと言えば”酪農”、そう!オークランドから車で西へ、または北へ、はたまた南へ15分(そこまで田舎じゃありません;高速道路でね)も走らせれば結構”酪農”を感じさせてくれる。人はこう言います、「ニュージーランドは人よりも羊の方が多い!」。その通りなんです。もちろん牛も。前置きはさておき、南島の牛乳と北島の牛乳は味も、泡立ちも違うんです。話が最初に戻りますが、かれこれ8年ほど前、当時北島の牛乳屋さんを使っていたのですが、なんだか”ミルクのキメが荒くて、泡立ちが悪い!”って時があって、南島の牛乳を入れてみたら、これがなんとも”素晴らしく”って感動しました。それから、そのCafeはずっとその牛乳屋さんを使いました。そうなんです。何せ、天然ものですから、もちろん季節や気候、でき不出来などその年によって”厳密に言うと”違うらしいのです。
技術で品質の一定化を実現できる現代ですが、僕が言いたかったのは”ニュージーランドの物作りの良さ”を表現するのにいい例えじゃないかな?って思いました。だって、それくらい”人間にやさしい”天然志向のモノ作りをしていますからね。

ラテ

ラテ
ご存知!”ラテ”です。

ダブルショットでグラスに入れて出すのが最近の流行。

グラインド

タンピング
バリスタの方はご承知だと思うんですけど、グラインドってすごく"微妙”で”繊細”、コーヒーの美味さにすごく影響を与えるんですよね。
僕のいるオークランドという町は"一日で4季がある!”と言われるくらい天気の変動の激しい街なのです。これは細長い地形で東は太平洋、西はタスマニア湾に挟まれている、世界でもまれな地形なのです。ですから西から天気が変わってきたり、東から、そして真ん中でぶつかり合ってみたいな。
ですから晴れてたと思ったら、シャワー(スコールの方が分かりやすいですよね)がきて、今度はまた晴れて、曇って、また雨時々ヒョウが降って、雷だの.......
ポイントは"湿気”なんです。つまりタンピングの微調整を通常行っていきます(天候によって。というか湿気具合で)。但し、窓開けっ放しのCafeで急に雨降ってきて、しかも降り続いたりみたいな状況は、グラインドを少し"粗く”(ほんの少し)、夏のオークランドはからっとして一番いい季節ですのでその渇きで”細挽き”といった感じで微調整していきます。これぞ"バリスタ”ならではの"こだわり”と”一杯一杯にかける想い!”なのです。
オークランドで働いてすごくこの重要さが分かりました。

相続税がいらないって?

オークランド

ご存知の人はもうNZに投資をしているのではないでしょうか?
NZは相続税がありません。つまり、親から引き受けた財産で四苦八苦し、しまいには親の家を売らなければならなかった!なんて悲しい日本の友人、知人の話を聞いた事ありませんか?
相続税は例えば隣のオーストラリアではもちろんありますし、世界ではNZはまれな存在の方です。ですから、外国人投資家の不動産投資というのはすごく盛んで、知らないと損するよ?っていうのが金持ち達の常識なのです。
"金持ち”!そう!この種の人達は、いろんなネットワーク、情報、節税、金融商品を駆使して、倍倍ゲームが可能な"ある限られた”人達なのです。
僕も銀行で働いていましたので、この手の人達と仕事をさせていただき機会に恵まれていました。ですからそのお金の増やし方を間近で見させてもらってました。いい勉強になりました。
さて、ではNZへの海外不動産投資は一部の人達だけのマネーゲームなのでしょうか?例えばこの円高です。NZの為替は現在60円を超えておりますが、昨年の今頃は90円近い数字でした。例えばオークランドの平均的な家屋の値段が$40万とします。現在は2400万円程度。でも、1年ほど前は3600万円だったと考えられます。為替の変動は実に恐ろしい物です。それは"逆”に転べばです。
さて、2400万円。決してこの金額は"金持ち”とはいえません。もちろん"貧乏”ではありません。この金額を不動産投資に回して、仮に家賃収入を得ようと考えます。家賃は地域によってそれぞれですが、$40万の物件なら、週$400程度は家賃として取れるのではないでしょうか。月に$1600、年間で$19200です。単純に利回りは4.8%。これは決して高くはありませんが、たぶん物件によっては10%なんて物も出ています。
問題はこれからです。これをズ〜と死ぬまで持っていた時(縁起悪い話ですが)、それを相続する際の相続税は0。日本で2400万円を相続したらいくらかかるでしょうか?確か1500万円までは生前贈与だなんだで無税、残りは課税の対象になったり.....
そして、死ぬまでにこの不動産をいろんな形で転売していくとしましょう。昨年はNZの住宅市場は最悪でしたが、平均10%の値上がりを過去10年続けてきました。上がりきっている感はありますが、この国の移民比率と人口密度を考えるとまだまだ発展の可能性は充分残されています。だたし、何でもかんでも上がる時代は終わった!と言えます。
話は戻りますが、この住宅が仮に3%の平均上昇を続けたとしたら、2400万は3%の金利を付けていきます。家賃はインフレと共に上昇していきますので、こちらも上昇していきます。
そして更に、"為替”。現在60円がある時点で100円になったら。2400万は4000万になってしまうのです。これが一番大きい投資要因かもしれません。

円高の今、もちろん更に円高になったら?そう考えると、誰でもではありませんが、この"投資”に魅力を感じられるはずです。



温度

ショット
温度!これはすごく美味しいコーヒーを作るにも飲むにも大切な事。
まずはエスプレッソマシーンで自動的にヒートされたお湯が出てきますが、だいたい92℃前後。フィルターコーヒーを入れる時に、沸騰したお湯はダメ!というか沸騰;つまり100℃ではなく少し冷ましたお湯を使います。これは全てのコーヒーにいえることです。ですから90℃くらいを目安にします。もちろんこれがフィルター(エスプレッソの場合ポーターフィルターという物;マシーンにいつも差し込んである物)を通ってカップに落ちます。このとき既に温度は下がっています。90℃の飲み物なんて誰も飲めませんからね。
そしてスチームミルク。これもミルクの特性上90℃を越えたら飲めません。焼けちゃって”ミルク臭”ってやつ、生渇きの雑巾のような匂い(学生時代の掃除の時間を思い出しますよ)がするので適正温度は73℃くらいかな?カプチーノとラテやフラットホワイトは微妙に違うけど。
これをカップに入ったコーヒーに注ぐ。つまり注いでいる間のミルクと落ちている間のコーヒーの温度は更に下がり、大体出来上がりで50℃前後。お客さんのところに着くまでに更に下がり、40℃後半。
ここが最大のポイント。僕はミルクが出来上がるタイミングとコーヒーが出来上がるタイミングをはかり、クレマが生きている間にミルクを注ぐ、そして出来上がったらすぐ届ける。そうすれば”ベストの状態と温度”でお客さんの口に入る。デザインにこだわると時間がかかるし、見た目はいいけど”味”でしょう。
スチームをおえてからスプーンで泡すくってかき混ぜて.......
みたいなバリスタそこら中に見かける。
時間ですよ!
エスプレッソは”生き物”。ミルクも”生き物”。
そして、口に入る瞬間、その生き物は”うまさ”に変わるのです。

冬場は特にがっかりする事が多い。だって作り方を変えないバリスタが多い。カップを温めておくとか、ミルクを少し高めにスチームするとか、手際を良くするとか、工夫をしてこそ”バリスタ”だと思う。

スチームミルク

バリスタ
この内容についてはFLATWHITE JPのテクニカルな意味では"中心テーマ”になっている。なぜなら、フラットホワイトという"ドリンク”がミルクのキメの細かさに起因しているからです。

では、ミルクのキメ!については、その"スチーム”のやり方に"全て”がある。すべてが"タッチ”なのです。

"タッチ”って何?
スチームノズルとミルクの"タッチ”です。深すぎず、浅すぎず、絶妙の"深さ”、それが"タッチ”なのです。それは、"音”でも分かります。
ミルクが冷たい状態ですと、多少最初は"高音”が出ます。でも、"高音はキメの意味では黄色信号です”。 そして、"ジョボジョボ”って音は"泡”のサインです。泡ぶつぶつの"キメ”とは程遠いミルクを作ってしまいます。"赤”信号ですね。
それでは、どんな音?
"シュー”という"低いサウンドで、時折"プシュ!”って感じで"ミルクを切る”感じの音を感じたら、"青”信号です。でも、ミルクが熱くなってついついノズルを上下させてしまう。手元がぶれちゃうんですよね。このブレを気を付ければ"キメ”の細かい、フラットホワイトのベルベットなクリームミルクを作れるはずです。

頑張りましょう!

一昔前のNZのCafe

ラテ・ボール
僕が来た1998年頃のオークランドのCafeはラテといえば「ボール」で$3.5。マフィンはキノコの馬鹿でかい感じの"大きさ”で$3。そんな平和な時代があった。つまり、$6.5(当時の為替は$1=70円)でおなか一杯になるのだ。日本から来た僕は例えばスタバでコーヒーが380円(確かスモール。こちらにはこの大きさ無いですよね。)で、ピタが同じく(美味くないけど)400円程度。つまり800円近くかかる。ブラウニーでさえ250円位したと思う。片や、サラリーマン御用達のドトール。こちらは180円のブレンド(安いけど150mlしか入ってない)にジャーマンドック180円と360円でまあまあ満足。それよりは"高い”けど、Cafeとしての"ゆったり”過ごせるNZカフェはドトールよりもはるかに安く感じた。
��afeは"値段じゃない!”、確かにそうだけど、毎日となれば"綺麗事”はいえないはず。でも、当時はそれを"両方叶えてくれる”素晴らしい環境だった。今は円高で"安く”感じるかも知れないけど、こちらで暮らす人にとってドル=ドル(当たり前でですが)、インフレは止まる事を知らない。
それでもNZって面白い。ドトール的に"ゲリラ”戦法で、ラテ$2みたいなCafeは出来ない(たぶんあるのだろうけど、質も悪く、流行らない)。少し"共産主義的”価格統一化が昔からこの国の"ルール”?というか、"右へならえ”的値段設定が特徴的。
なぜ、こんな事を書くかって?実は最近行ったポンソンビーのOneTwoOneが未だに「ラテ・ボール」を出していた事に感動。ここは昔ATOMIC Coffeeの"聖地”として有名で僕もかなり当時は通っていた。
改めて「ラテ・ボール」に乾杯!

コーヒーの味

ロースティング
コーヒーってどんな味?って聞かれて100%の人が"苦い”って答えますよね。もちろん"正解”です。
でも、"甘味”や"酸味”も加味して相対的に"苦い”んですよね。

世界最高峰といわれる"ブルーマウンテンNo.1”、飲んだ事ありますか?
この豆は95%いや、99%日本の業者が抑えていて、日本以外では飲む事すら難しい豆です。さて、この豆。実際飲んでみると、飲み口は"コーヒー特有の苦味”そして舌の真ん中で"ほのかな甘味”、フィニッシュで"爽やかな酸味”を感じる、「実にバランスの良い」豆なんです。もちろん感じ方は人それぞれ。でも、飲んだ人が100%これが一番!って言うとは限らない。

それが"嗜好品”の最大の「面白い」とこなんですよね。No.1は世界でもブルーマウンテンの豆にしか存在しない。これはサントスの格付けで決められている事。ダイヤモンドとか金みたいなもんですね。でも、あくまでも「格付け」なので、ミシュランみたいに実際行ってみると、飲んでみると、見たいなモノですね。

このHPで紹介しているMAXとSIERRA。2つとも味は大きく違います。ですから、是非皆さんに飲み比べて頂きたい。



フィルターコーヒー

��Zに来て、恋しく思うのが「フィルターコーヒー」。え!そんなの「マック」や「デニーズ」であるじゃない?.........僕が飲みたいのは「喫茶店」のフィルターコーヒーです。唯一、スタバがCOD(コーヒー・オブ・ザ・デイ(本日のコーヒー)」をメジャーにやってるのでたまに無性にのみたくなる。何故?NZにはないのか??そう考えると、やはり「文化」であろう。日本は戦前から「喫茶店」は流行っており、庶民の憩いの場であった。

そしてそのコーヒー文化は、ヨーロッパから来たものであるが、当時はフィルターコーヒー全盛であった。「メリタ」に代表されるドイツの1個穴派と「カリタ」に代表される日本の蒸らし技術を駆使した3個穴派に大きく分かれていた。もちろん「両者」譲らず、甲乙付け難いほどそれぞれの「味」の良さ(僕はカリタ派)はありますので、是非お試し下さい。

何が違うか?というと、メリタは下のビーカーが小さい?その分フィルターが「杯数」に比例して"大きく”設定されている。つまり、適量のコーヒーとフィルター一杯の熱いお湯を入れると、後は出来上がるのを待つだけ。

一方、カリタは"蒸らし”技術の最高峰とも呼べるこの「3個穴」を上手に使って、適量のコヒーをフィルターに入れ、下のビーカー(これが杯数によって大きさが異なる。)のたまり具合でフィルター一杯にお湯を廻しながら入れて、その減り具合をみながら常に一杯にフィルターがお湯で満たされている状態を保ち、下のメモリ(例えば4杯)にコーヒーが達した時点でフィルターを取り除く(お湯がたまっているけど、それを全て取り除く)。

この他にも日本の「サテン」(喫茶店)の王道といえば「サイホン」!これは"渋い”!サイホンをNZでやったら「受ける!」とは思ってるが、機材の(特にフィルター)事を考えると、商売的に採算が合うのかが?

とにかく、あの「サテンのコーヒー」が"日本”を恋しくさせる。
��スタバのCODは日替わりランチと一緒で、こちらでは選べないのが残念。まあ、在庫調整の一環なのでしょうがないかな?(内部事情)


グラインド 2

ショット
エスプレッソのグラインド(つまり"挽き”)って難しい?って思われている方、これは例えばCafeで働いている方向けの"見極め”ですけど、エスプレッソマシーンがあくまで「精巧」に動いてると仮定して20秒を目途にしてください。
つまり、"ベストショット”といわれる「最高のクレマの立った活きたエスプレッソショット」の目安が20秒前後だからなのです。
湿気や乾燥によってタンピング(押し)やグラインド(挽き)を調整するのが「真のバリスタ」!オークランドみたいに気候の変動が激しい所では、一日の中でも数回調整しなければ「ベスト」なコーヒーが作れない環境があります。

さて質問です?突然雨が降って来て、明らかに湿度が上がって、コーヒーの出が「......」の場合、タンピングは「......」またはグラインドを「......」する。
この空白を埋めてください。もし正解なら、あなたは「バリスタ」です。これは当然夏(日本は湿度が高いが、NZは湿度が低い)、冬(日本は湿度が低いが、NZは高い)の季節にも充分対応できる力を持っているでしょう。
もちろんグラインドのメモリは非常に「精密」というか「繊細」ですのでせいぜいメモリ0.5の調整でOKでしょう。

��20秒」こそ、うまいコーヒーの"目安”なのです。
これは同時にフィルターの中の"適量”のコーヒー豆のバロメーターでもあります。この"適量”はコーヒーの「出方」で簡単に計れます。サーっと流れ出るコーヒー=豆が少ない。なかなか出て来ないコーヒー=豆が多すぎます。通常は少々ドロッとした形で細い弧を描いてカップに注がれます。出来上がりの"クレマ”こそ!いいコーヒーの証。いいコーヒーのクレマは5分経っても消えません。
��この写真使いすぎかな?

新たな挑戦

海外の日本食ってどう思われます?
この素朴な疑問が「じぱんぐ」(僕が5年程オークランド;NZでやっていたレストラン)の開業のきっかけだったのです。
海外!アメリカをはじめ、海外で日本食に触れる機会って日本人の場合多いですよね。これは日本人に限らず、旅行や仕事、様々なきっかけで海外に行ったり、住んだりすると"母国の味”が懐かしく、つい足を運ぶのは万国共通の"嗜好"だといえます。
僕の住むオークランドには100件以上の日本食(寿司TakeAwayも含む)が点在しています。しかし、悲しい現状としては"本物”が少ないのです。これはアメリカでも同じ経験をしました。日本食店のオーナーの60%以上が日本人以外のアジア人(主に韓国人、中国人)なのが現状。見た目は確かに変わらない人達ですが、その"味”に至っては.........
東京にだって「沢山日本人のやっているイタリアン、フレンチ、中華あるじゃん?」って反論を受けるかもしれません。でも彼らは、修行をしてある程度の経験を積んで"営んでいる”料理人!だと僕は信じています。もちろん、"何ちゃって”的な人もいるでしょう。でも、この国は単に"ビジネス”として、日本食をやっている人があまりに多い。アメリカも一緒。単に、世界的に"日本食”は金になる(例えば韓国料理、中国料理屋よりも)。だから、驚くような"日本食”に出会える(悪い意味で)。そして、何年もやっているのに"味”"クオリティー”に改善、向上が見られない。つまり、彼らが”料理人”ではない「証」がそこにある。普通、何年も続けていれば「腕」は向上していく。それは、「職人」としてのプライド、もちろんうまくならない人もいる。それは、「センスがない」つまり普通なら廃業に迫られる。でも、やり続けていられる?それは、やはり「本物」と「似た物」を判断する"お客様”の「知識」がなかったように思われます。
そんなきっかけで始めたレストラン、5年を経て僕の思いは最近ここオークランドでも根付いてきているように思える。最近は"お客様”は「日本人経営」「日本人シェフ」という事を少し気にしてレストランを選んでいる。つまり、彼らの「舌」が肥えてきたと同時に、「違い」(見た目では難しいが店内の言葉、雰囲気、サービス、そして料理)を見つけ出してきている。
これは本当の意味で"日本食の文化”を保護する意味でも大切な事であり、「海外の日本食」のクオリティーを押し上げる効果でもある。最近日本でもカリフォルニアロールがメジャーになり、新たな"逆輸入SUSHI”として注目されている事を"誇らしく”思う。
僕の新たな挑戦は、自分の飲食業での経験を生かし、不動産業の持つ"情報”という武器に"飲食店開業”を全面的に支援して行くことです。コンサルタント業務として、情報の提供とアイデアの構築、そして実際の運営支援をオーナーさんと一緒に築き上げていく。

これからは「本物」の時代です。

まだまだチャンスは沢山あります。”数”の時代は終わり、今オークランドは"質”の時代に入っています。アイデア一つでこの世界はまだまだ伸びる可能性を秘めています。

エッグ・ベネディクト

エッグ・ベネディクト
これはすごく僕が好きだった食べ物。エッグ・ベネディクト。店によってはベーコン、スモークサーモン、ベジタブル(アボカド等)などいろいろなバージョンが楽しめます。簡単なメニューですが、このマヨネーズみたいなホランダーソース(日本のQPに比べてこってりして酸っぱめのバターベースのマヨネーズ)が美味い!後は、温泉卵風の「ポーチドエッグ」がキメテ!
ぜひNZのカフェで食べてもらいたい一品。

裏庭

ニュージーランドのCafeって雰囲気あるところ多いですよね!
そう!「裏庭」っていうか「バックヤード」があるところ。狙いです!!
僕の昔通っていた「ATOMIC」Ponsonbyのバックヤードは今でも大好き(現在OneTwoOne)。砂場もあるんだよね。子供連れのお母さん達も(ポンソンビーですからちょっと洒落たお母さんが多い)いたり、やっぱショップ店員系の人や、アーティスト系の人、サラリーマン(商談なんかで)とかホントいろんな人が来ている。そしてこのバックヤードをこよなく愛してる。なんか公園の中で「お茶」してる感じ。
��IWIは特に「外」派。だから、バックヤードは通りに面しているところよりも「落ち着き」「安らぐ」場所なんでしょう。最近日本のCafeは行ってないので、言い切り(NZの方がいい!!!みたいな)は出来ないけど、どちらかというと「都会のオアシス」的な「作られたお洒落」が多いと思うんだけど、こちらは何か”自然”な感じ、スズメがマフィン食べてたり、砂場があったり、暖炉(というかチャコールのBBQみたいなの)があったり、その店独特のスタイルをかもし出している。HerneBayのFusionなんかも通ったな。あそこもバックヤードが何か「自宅の庭」(僕の家はそんなに広くはないんですけど)で「お茶」してる雰囲気。
とにかく、NZのCafeの「裏庭」(バックヤード)は”狙い”目です。

コーヒーショップとCafe

カフェの雰囲気

日本はコーヒーショップが多い。喫茶店もその1つ。スタバやドトールもコーヒーショップですよね。

何が違う......?それは、”料理”と”雰囲気”でしょう。

それは大きな違いでしょう。コーヒーショップはいわゆるコーヒー専門店で軽いサンド系のフードとスウィーツ。あくまでも主役は”コーヒー”。

��afeはコーヒーはもちろん、料理も充実しており、サンドやマフィンをはじめ、パスタやステーキ類なども出すレストラン(?)的なコーヒーショップの事でなのです。シェフが居て、もちろん我侭なオーダーも聞いてくれる(常連になれば?まあ、ヨーロピアンって結構自己主張強いから初めて入る店でも平気で注文してくる)のがCafeの醍醐味。
これこそヨーロッパで根付いたCafe文化。

何故?日本はコーヒーショップが多いか?

元来、サテン(喫茶店)といえば、「モーニング」(トーストとゆで卵にブレンド)でしょう。やっぱり、料理が進化してないんだと思います。止まっちゃってるんでしょうね、60年代から。スパゲティーやカレーも定番。BLTと呼ばれる「サンド」は典型的。

もちろん、こちらのCafeにも「定番」はある。でも”進化”している。
それは、やはりChefが変わる度にメニューの入れ替えや年に2回くらい変える店も多い。

だからこの国ではコーヒーショップはあまり流行っていない。あのスタバでさえ勝てない市場(日本が流行り過ぎだったのかも?)で、グロリアジーンズも売りに出す店が多いし......もちろんCafe達も生き残りをかけて仁義なき戦い(ちょっと大袈裟かな?この表現。でもオーナー達は必死だよね)を繰り広げている。

��afeのチェーンってそんなにないのが現状。当社で扱っているSIERRA(シエラ)が最大手でオークランド中心に約30店舗、その他ウェリントンやクライストチャーチ、ハミルトン等にも進出をして来て初の全国区を狙うCafeはあるが、オークランドの有名なCafeも1店舗とかって店が多い。

何故?

たぶんバリスタをはじめ、シェフの腕も必要になるため、「誰でも出来る?コーヒー界のマクドナルド達」とは異なる性質の物だと思います。

まあ、Cafeも全てが”いい”とは本当に言いがたいのですけど。

ただ、コーヒーショップとCafe(もちろん、ここでは一流の店の比較)は「大きく」違うので、そういう”海外での食の楽しみ方”も旅の醍醐味でしょう!

住宅問題

日本ではバブルと呼ばれる「行け行けドンドン!」の時代があった。1985年のプラザ合意のあと、”円高””株高”そして”土地高”というトリプル状況をベースに日本の経済は瞬く間に世界の頂点を極めた。NYのロックフェラービルを買収したり、世界の名画を買いあさったり、中国をはじめ海外に生産拠点を移していったり、ジュリアナ東京で扇子振ったり?まあ、とにかくあの時代の日本は「勢い」があったなんてもんじゃなかった(今、振り返ってみると)。

そんなバブルを過ぎて20年近く経とうとしている日本は近年すごく回復してきていた。リーマンショック以前の話です。
でも”住宅”に至っては、耐震性の問題住宅が数多く作られ社会問題となっていたのです。

��Zだって(特に南島)地震はありますけど、あまり問題視されていない?
地震よりもこの国の住宅の問題は”水漏れ”なんです。特に冬場に湿気に悩まされている方多いと思います。この問題は一軒家ならまだしも集合住宅(つまりマンション=NZではアパートメントといいます、ユニット、タウンハウス等)でこの問題がおきたら最悪です。
自分のところの修理で住めばいいのですが、何せアパートといったら日本のマンションですから、どこから漏れてるかをまず突き止めなければいけないし、その修繕にかかる費用といったらでかければでかいほど”高い”(当たり前ですよね!)ので、大抵は”連帯責任?”ならぬ”みんなでお金を出し合って直そう!”って全体に思えない事態なんです(払わざるを得ないんですが)。つまり、ローンを払うのも大変なのに、おまけに修繕費が乗っかってきて、じゃ!売っちゃおうか!?って「売れるもんではないのです」。

これは明らかに欠陥住宅と証明されても、今度ディベロッパー(建築施工者)の会社が倒産していたり、トラストで守られていたり......そんな感じで責任の所在が不透明の中、ボディーコーポ(管理組合)の取り決めで持分に応じて(部屋の広さや間取り等戸数割計算)修繕費の負担を請求させられるケース。

これと同じ話を日本の「耐震欠陥住宅」の被害者達のニュースで見ました。
��Zは200年から2007年にかけて、「バブル」を迎えたといわれています。でも日本と比べると”だいぶ’異なります。不動産価格をみれば確かに”上昇!上昇!”でした。2007年後半から今年の1月まで”低迷期”を迎えていました。でも、日本と比べるとどうでしょう?

日本は20年経ったら不動産価値は0とは言いませんが、毎年”定率法”で「減額」していくのです。

さてNZは?100年建ってる家(もちろん改修工事はその間行われているはず)でも、一等地なら値上がっていきますよね?2007年と2009年で値段的に本当に下がっているでしょうか?モーゲッジ・オークション(いわゆる日本の競売)でもCV(キャピタルバリュー)を大幅に下回るというのは珍しい世界なのです。このCVに”守られている”といってもいいでしょう。日本にも同じようなものがあります。”固定資産税評価価格”というもの。バブル期には”急上昇”し、その後”急降下”したもの。
果たしてNZは?オークランド市内(ノース、ウエストと改定の時期にずれはありますが)では2008年の改定ではもちろん上昇(2005年に比べて)していました。さて、2011年は?今後の動き次第ですね。

とにかく、日本でもNZでも”欠陥工事”と呼ばれる「事故」の原因は、「忙しすぎる」「金が足りない」という両極端な2つ。

つまり建設ラッシュで「忙しすぎて」手抜きをしてしまう、建設途中でコスト向上、経費上昇で「金が無くなって」手抜きをしてしまう。
ですから、一番いい状態の家を買うためには(新築)市場動向を見極め、会社を選ぶ事が大切になります。これは自分の欲しい時期もありますので非常に難しいです。

古い家を買うなら思い切って”冬”の最悪の季節の時に買うのも得策でしょう。雨漏り、湿気、カビ、下水等夏には見られない”現象”が如実に出てきます。”夏”はどこもかしこも良く見えるものです。カラッとした暑くない夏!心も体もHappy!よし!買っちゃえ!!みたいなノリありますから。



オーガニックコーヒー

KOKAKO COFFEE

最近のCafeのトレンドは「オーガニック」「フェアトレード」という看板を見かける。

これは21世紀を向かえ、世界が「エコ」や「食の安全」「南北問題(格差社会の是正)」に取り組んでる現われだと思えます。

コーヒーの世界でも「オーガニック」は非常に顧客にアピールできる物であり、その味わいも従来の物とは違う”自然な”味を提供できる事で人気が高い。僕もこのFlatWhite JPの方で「オーガニック」「フェアトレード」商品を中心に販売していますが、従来の物と比べて”味わい”が違う事を実感しています。

オーガニックとはいわゆる「有機栽培」の事で、ブラジルやコロンビア等のコーヒ−農場の方達が丹精をこめて作り上げた”無農薬”の逸品なのです。
更に「フェアトレード」というNPOたちに守られた「貿易不均衡のない=丁寧に心をこめて作られた」商品である事が伺えます。もちろん、フェアトレード以外の商品は”心がこもっていない?”そんな事はないのですが、消費者が”農家を守る=商品を買う事によるチャリティー”一人ひとりで積み上げていく啓蒙活動なのです。
このムーブメントににより、コーヒー農家の収入は安定し、豆のクオリティーも向上、消費者にも貢献という”素晴らしい社会活動”なのです。

今日は先日行って来た”KOKAKO"というパーネルにある100%オーガニックコーヒーの店。店内はオーガニックフェアトレードのコーヒーズタ袋が天井に貼り付けられており、「この豆使ってます!」的なアピールをしている。全般的に「かわいらしい」お店で、コーヒーの味もまずまず。

僕的にはフルシティーくらいのダークローストが好きなんだけど、ここのはライトダーク(シティーとミディアムの中間くらいかな?)ちょっとロースとは物足りなかった。でもマイルドのコーヒーを好む方にはお勧めです。

何よりもTakeAwayCupがかわいかった。


オークランドNo.1バリスタのいる店

Espresso Work Shop

最近知り合ったコーヒー好きのH君からの紹介で行ったCafeが、なんと「オークランドNo.1バリスタ」のお店”Espresso Work Shop"。

3日で2回も行ってしまった。この店は独自にブレンドを3種類作っており、なかなか興味深い。まだ全ては試してはいないけど、是非試してみたい。

まず店内。前回紹介したKOKAKOと一緒で”ズタ袋”が天井に張ってあったりして、コーヒー豆を直接輸入してローストしてます的なアピールを感じる。
そして”お洒落すぎない”のが入りやすく、親しみやすい。

料理は試してないけど、こちらのCafeにありがちな”ブラックボード”ではなく、”プラスチックボード(半透明の)”にペンで結構ナグリガキ系。
個性的。

問題のコーヒーは!残念ながらNo.1バリスタのDavid(アジア人)は2回とも空振りだったが、バリスタの”泡”のテクはエクセレントだった。コーヒー自体の味も苦すぎず、マイルドすぎないニュージー系の味。少々感じる酸味はもしかしてフルーティーなスマトラの味?かも。
MAXやSIERRAにない味わいが新鮮だった。

そしてブレンドの名前が「Mr.White」。つまり、ミルク混ぜコーヒー「フラットホワイト」「ラテ」に使われる専用ブレンド。
もちろん「ロングブラック」等ブラックコーヒーには「Mr.Black」というストレート専用豆を使い分けている。
このこだわりだけで、コーヒー通は”涙が出る”。そんなCafe滅多にない。

という事でここは5つ星Cafeに認定です。
H君!ありがとう。


いろんなスタイルのCafe

ASB&STARBUCKS

僕が実際日本で活動していたのは10年以上前、そう!カフェブームが起きて来た頃ですので、今の日本の”コラボレーション”Cafeをあまり知らないのですが......

アメリカでは早くから"コラボ・カフェ”が流行っていました。Bordersでは本屋さんとスタバのコラボ・カフェ、Eddiebauerではファッションブランドとのコラボなど10年以上前から流行ってきました。

こちらNZでもBordersをはじめ、いろんなコラボを見かけます。
新鮮だったのは「銀行」とのコラボ(すいません、この店はもう5年くらい前からあるんですけど。新しい情報ではありません。ただ銀行員だった僕には斬新だったので)。

Cafeは"生活”の一部ですから、こちらではホームセンターの真ん中にCafeがあって、植木や花がずらっと目の前に広がる店内の中で"ちょっとお茶でも!”みたいにCafeを楽しめたり、スーパーマーケットの入り口にあったり、Cafeってそういう「存在」なんでしょうね。


最近の不動産市場

��008年はまさに"不動産業界”にとっては「悪夢」だったとしか言いようがない一年だった。そして、2009年の2月までは........

NZの代表的な産業のひとつでもある”不動産市場”!これは海外からの投機的なお金が入ってくるこの国の"基幹産業”とも呼べる。90年代終わりに始まった"語学学校”建設ラッシュ!これも、この国の"基幹産業”の1つだった。留学生が持ってくる「外貨」はこの国の経済を潤し、同時にその留学生を受け入れるべく「Cityアパートメント」は活況を呈していたのですが、残念ながら「SAARS」を皮切りに、(「テロ」はこの国とはほぼ無関係)KIWIドル高、原油高、そして「リーマンショック」による"世界同時不況”と続き、「豚インフルエンザ」と留学生どころか旅行者も減る一方で、この国の経済の柱であった"外貨”を稼ぐ産業は衰退してきています。

弱小の語学学校は閉鎖を余儀なくされ、金利の低下による"外貨預金”の魅力(欧米、日本諸国に比べればまだまだ金利は高いですが)は薄れ、Cityアパートは空室が目立ち、建設過多(供給過多)状態。投資家は"売り”を進めていますが、"買い手”が付いて来ない。そんな状況です。

OPEN HOME

但し!今年の3月から"一般の住宅市場”は活況を呈してきています!!
これは、従来国内の需要が"旺盛”な市場ですので、海外の投資家や留学生とは関係が薄い、いわゆる「本来のKIWI社会の基幹産業」ですから、3月から今月にかけて「販売好調」で国内でも(もちろん投資家の間でも)Hotな話題になっています。

KIWIはもともと日本人とは異なり"家を転売して、一生を過ごしていきます!”。つまり、「投機的」でもあり「ライフスタイル」的でもあります。
年を取ったら、大きい家から小さい家に移り住む!とか、子供の成長に合わせて(学校の選択)移り住んでいく!とか、少し貯金があったらそれを頭金にして家を買っとこう!って発想が"文化”として根強く残っています。

この”発想”が、「不動産王」を作り出してきているのです。
若い人でも不動産の購入には"意欲的”で、毎週のように”OPEN HOME"の看板をあちらこちらで見かけます。特に毎週木曜日に出される「Property Press]なる無料の「住宅販売情報誌」が週を追う毎に"厚く"(熱く?)なって来ている今日この頃。
オークションの成立率も時には90%を超え、売り手の満足度が伺えます。つまり、思ったより"高く”売れる「市場」になりつつある事が伺えます。

もちろん、昔のように(日本もバブル期はそうだった)何でも売れる時代は終わりました。「高く」売れる為には、”理由”つまり「セールスポイント」が必要不可欠なのです。それは、「改装状態」、「単に地域」、そして「将来性」など様々なファクターがあるのです。

今、市場が動いています!
投資するには、面白い時期だと思います。と同時に、吟味する事の大切さを加えておきます。

SIERRA CAFE

このHPで扱っているオークランドのメジャーなCafe;SIERRAは僕のNZライフの出発点でもあるんです。30過ぎて、もうすぐ31になる1ヶ月前にオークランドに滑り込んだ(ギリホリ)の自分。ここをステップとして、一度諦めた「夢」!そう!!SEATLE(USA)への進出のために"英語”を学びに来たのが始まりでした。


��ヶ月弱語学学校に通い、英語になれた頃、その頃お気に入りだったLoarnStのSIERRAのオーナー(イタリア人;ダリオ)に直談判!!
日本でのBARISTA(バリスタ)の経験があった為、英語は今一でも”腕”は「他のバリスタに負けてはいませんから」すぐ「採用」されました。
しかし最初は週一回。比較的暇な"土曜日”のみ。それでも「NZでの第一歩」を踏み出せた喜びで一杯でした。当時(98年)のCafeで日本人はおろかアジア人は非常に少なかった時代です。嬉しくて、毎日遊びにいっていました。そのうち、タダ遊びに行っては申し訳ない!と思い、キッチンを手伝い始めました。もちろん、タダで。でも、ダリオは「メシは何でも好きな物食っていいぞ!」という太っ腹。確かにデブだったけど。まあ、そんな感じで「無理やり」毎日顔をだしている間に(3ヵ月後)いつの間にか「毎日」の仕事になっていった。つまり、僕がこのCafeの”バリスタ”として働く事になっていた。

その年、我がLoarne Streetはオークランドのメジャー誌のTOP3のCafeに選出されていた。これは本当に「栄誉」のある事だった。
つまり、SIERRAと僕の関わりは"12年間”を迎える「運命的な」繋がりでもあり、僕が初めてNZで「美味い!」と思ったCOFFEE ROASTERなのです。

SIERRA ROASTERS


その頃(98年)はまだ4店舗しかなかったSIERRA。その後、2002年に現在の会社がTakeOverして「拡大路線」を突き進んできていますが(現在国内30店舗)、昔と変わらない”美味い”コーヒーを作り続けていることは僕の「舌」が保障します。

Cafeの値段

 Cafeの値段って?最近のCafeの相場はコーヒー(フラットホワイト)で$3.5、ラテで$4が相場じゃないかな?

これはある意味「すごい!」事なんです。この12年間ニュージーランド(しかも物価が一番高いオークランド)でコーヒー一杯の値段は40%上がっているという事なんです。ちなみに、僕が来た頃はフラットホワイトは$2.5でラテが$3でしたから。日本のドトールコーヒーは確かまだブレンドは¥180だった気がする。12年間で上昇率0ですよ。
街中のCafe

値段の話をすると、なんか「夢」がないように思えますが、あくまでもCafeはビジネス!ですから。その間、コーヒー豆の不作(南米の干ばつ)や原油価格の上昇等も伴って(でも、実際には物価上昇率の影響が非常に高い!)、そして切っては切れない「牛乳」の値上がり(これも原油高、最低賃金の高騰などが起因、食の安全の問題で中国産からのニュージー産への世界的シフト)と相まって、値上がりしたものといえる。

もちろん、国内も2000年から2007年まで「バブル」的に拡大路線を続けてきて、「店舗の家賃の高騰」や「人件費の高騰」もその値段の上昇の最たる要因とも言える。

果たして、コーヒーの価格はそれでも高いのか?人件費(この国の最低賃金は時給$12.5)は12年前と比べると、208%増し(当時時給$6)なのです。
家賃は大体2年ごとに12%くらい増しで(下がる事はない)いくので、これもまた「経営者」の頭痛の種。

果たしてCafeは儲かっているのか?

たまにはこんな事を考えてCafeを散策するのもいいかも?
え?趣味悪いって。すいません、つい今まで「飲食店」を経営していたので、こんな「夢のない」視点で見てしまう時があります。

それでも、Cafeは毎日混んでいる。そして、日々新しいCafeが出来てはまたその影で消えていくCafeも多い。そんな「Cafe激戦区」オークランドで「いいCafe」を見つけるのも"楽しみ”の一つ。

CITY?それとも郊外?

最近オークランド市内のいわゆるCITYへの日本食レストランの出店が相次いでいる。これも「人口密集」を考えると「当然」の結果かもしれない。
飲食店!そうなんです。「飲む」と「食べる」を考えると、当然そのエリアの総人口の比率(例えば1%でも取り込むことが出来れば上出来)が勝負の分かれ目なんですよね。

人口100万人の都市で1%って考えではなく、当然エリア人口なので「昼間人口」と「夜間人口」はもちろん違います。特に、住宅地に「店」を構えると、昼間人口はメッキリ減ります。そんなところで「昼」を勝負するCafeをやっても、勝ち目はありません。でも、あれば「入るかも?」みたいな「皮算用」で多くの人が失敗しているのがいい例です。

CITYはこの「昼間」はもちろんの事、過去5年のマンション(こちらではアパートと呼びますが)の建設ラッシュで「夜間」人口も一気に増えました。
ですから、朝から夜まで戦える「一等地」として、「競争」と「家賃」は高くても、それなりの「入り」がある(全てではないので、潰れる店も多い)のが現状です。東京となんら変わりありません。しかも、お店のリース料も大体50?くらいでも月$5000以上くらいします($=¥65で考えれば¥32万5千?安いですか?いやいや、下手すれば$10000つまり¥65万くらいですよ。)それなりに売上げはあるでしょう。

それでは、郊外は?もちろん、郊外といっても「場所」によります。
レストランなら「郊外」でも経営が成り立ってる店も多いです。でも、客単価で$30で、一日50人つまり$1500では、経営は厳しいでしょう。
家賃もそんなに安くはありませんし、仮に100?で$5000月だとして、人件費やコストで約50〜55%かかるとしたら、家賃を10%に抑えようとしたら月の売上げは$50000。つまり、一日$1670を売り上げなければ「利益」は出ないでしょう。

こんな事を考えると、やはりCITYなんでしょうかね?日本の郊外の居酒屋で一日¥10万ってそんなに難しくない?!実際は「難しい」ですよね。
もちろん、「原価率」を切り詰め、「人件費」をいかに削るか、そして「集客率」と「客単価」を如何に上げるかを「経営者」は常に考えて「利益」を追求していくのが「経営」ですもんね。

最後に、「CITY」か「郊外」か?それは、数字でいったら「CITY」なんでしょうが、「人口密集率」という統計学的な結果を加味しつつ、やはりお店を開くという「夢」をも大切にはしていきたいですね。ただし、「夢」だけでは「メシ」が食えない!という現実がちらつきますが。


DAY LIGHT SAVING(デイ・ライト・セイビング);いわゆるサマータイム

実はニュージーランドでは、先週の日曜日から「Day Light Saving」(俗
に言うサマータイム)が始まった。

このシステムは「日本」にはないけど、非常にいいシステム。つまり、夏(こちらはまだ春ですが)の気持ちいい一日を長く過ごそう!という企画で多くのレストランやCafeは売上げにも貢献していると思える。

つまり、単純に「朝」6時頃から明るくなってくる「夏」の一時期を、時計を早めて5時にして、そうすると通常の夜8時は時間差を加味するとサマータイムでは9時、ということで「お日様」を利用して「電気をなるべく節約しよう」というのが「原点」であり、それによって皆夜9時(最高で10時頃までニュージーは明るい)になってようやく暗くなってくるから、その分外で"遊ぶ”気持ちにさせてくれる。

家族持ちなんかは、お父さんが会社から帰って来てから、みんなで9時までビーチでBBQ!みたいな事も「平日」から可能だし、夕飯食べてから下手すれば「釣り」にも行けたり、会社終わってから「サーフィン」なんかも可能。

最高の夕日とにかくこの制度!早く日本でも施行されればと思います。まあ、日本は世界有数の「残業王国」ですので、果たして?逆に、もっと「仕事」が増えちゃったりしてね?

この「DayLightSaving」で最も注目されるのは、やっぱ夜の「外カフェ」でしょう!夏の夕暮れのちょっと涼しくなってきた時間から、Cafeはそういう人達で一杯!だって、今8時?!だけど、皆海像沿いで「ローラーブレード」や「泳いでたり」、「ラグビーやってたり」........とにかく、夜じゃない?まだまだ遊べる感じ。

ニュージーは真夏でも日中こそ30度を越えるけど、夕方なんかは涼しくなる。日本と違い「カラッと」した夏なのです。ですから、夏に夕暮れ、Sun Setを見ながら飲む「フラットホワイト」はまた"格別”です。

日本じゃ断然「アイスコーヒー」ですけどね。

ニュージーのアイスコーヒー

SIERRA Dominion Rd

ニュージーランドのアイスコーヒー?というかヨーロピアンのイメージするアイスコーヒーとは?

実はコーヒーの歴史上、アイスコーヒーは「タブー」というか「美味しくない!」的な考えがあるのです。つまり、コーヒーは煎れたてに限る!という考え方は間違っていないと思います。アイスコーヒーはそもそも「作り置き」している物だからです。日本のコーヒー文化の中で、コーヒーを煎れながら冷やしていく「瞬間冷却マシーン」が開発され、「美味しさ」は増しました。ヨーロピアンにとって、「コーヒー臭」といわれる独特の"香り”(ちょっと蒸れた感じの匂い:表現するのが非常に難しい!?)を嫌がる人が多いのです。

そこでアメリカ発20世紀最後に登場したかの有名な「スタバ」が、エスプレッソを氷の中に直接注ぎ込む「アイスドリンク」の開発に成功(そんなに大それた事じゃないが、画期的なアイデア!)し、ヨーロピアンにも受け入れられるようになった。

そもそも「アイスコーヒー=甘い飲み物」がヨーロピアンには主流の為、ニュージーのアイスコーヒーは「コーヒーパフェ」みたいな"クリームトッピングでエスプレッソベースのアイスクリーム入り?」みたいな飲み物。
日本から来た人は「ビックリ???」するに違いないでしょう。

そこでニュージーで日本のアイスコーヒーを飲みたい方!「アイス・アメリカーノ」または「エスプレッソ・ウィズ・アイスキューブ・アンド・ウォーター」的に注文すれば「苦めで、のどの渇きを癒す!」あの!!日本のアイスコーヒーの味に近いものが楽しめます。

ちなみにスタバ以外では「ガムシロ」や「スジャータみたいなクリーム」はございませんのでご了承下さい。もしかしたら、スタバでもないかも?

2009年NZの不動産市場

確実に「不動産市場」は回復、再上昇し始めている。2009年のマーケットは「熱い!」終わりを迎えてきている。
��終わり??というのは、12月の初旬までが「最盛期」なのです。
沢山の新規リストが出てきましたが、クリスマスホリディーの関係で12月の初旬で今年のマーケットは終了しようとしています。もちろん、12月中旬から1月の半ばまでの1ヶ月は「スロー」な取引は続きますが。

今年のマーケットの回復振りは「目まぐるしい」ものがあり、誰もこの回復の速さを予想できなかったのでは?
いや?仕掛け人が必ずいたはず??実際には「確信」に変わってきたのは今年の9月頃からでしょう。仕掛け人?もちろん、どこかにはいたのかもしれませんが、しいて言えば「低金利政策」が最たる要因ではないでしょうか。

Henderson Heights

つまり、元来「高金利政策」を押し通してきたニュージーランドですが、確実な銀行預金の「低金利」に対して、この国の「移民政策」「住宅供給不足」状況などを加味した「不動産神話」が”徐々に「低金利」の隙間を潜り抜けて"再燃”した事が考えられるのではないでしょうか?

最近のプロパティープレス(不動産情報誌;無料)のページ数は確実に「不況の2008年」の同時期とは比べ物にならないほど"厚く”、販売形態も「オークション」(購入者としては、この家いったい幾らなんだい?ってすごく疑問の多い売り方ですが)売りがページを飾っています。

この様に「オークション」は実際現地に顧客の足を運ばせ、エージェントに問い合わせさせる「販売と購入」の両者が密接に情報収集出来、最終欲しい人が競り合う!という「高く」売れるかもしれない?不動産マーケットでの「王道」な販売方式なのです。

「値段」が出ていれば、消費者は「ハードル」を設けます。つまり、「私には無理!」みたいな"ネガティブ”な気持ちが生じます。
しかし、オークションで「もしかしたら?」みたいな"ポジティブ”な発想を湧かす事も可能なのです。もちろん、「安く」買える事は少ないですが、こればっかりは「オークション当日」にならなければ誰にも分かりませんからね。

あと一ヶ月!ニュージーランドの不動産は「一年で最も熱く!復活した!!そして今後は?」という期待を背負って2009年の幕を閉じようとしています。
まだ、間に合うか?
「もちろん!」まだ今年は終わっていません。この1ヶ月が”勝負!”です。まだ、マーケットは「上がりきってはいません!」。2011年ラグビーワールドカップ開幕というBigEventが控えてますしね!





マウントイーデンのお勧めCafe

久し振りにいい感じのCafeに出会った。

Cafe Alter外観

場所はMtEden Rd(マウント・イーデン・ロード)の「altar」というCafe.
一軒オフィスビルのような感じの建物で同じような感じの建物が立ち並んでいる為、見過ごしてしまっていたのであろう。
店中もお洒落な感じでオープンスペースでかつ白をベースにした店内は、暗い感じのCafeとは違った"清潔感”溢れる感じ。キッチンも脇からオープンな感じで伺える。朝から近辺のビジネスブレックファーストやちょっとセレブな感じの人達で賑わっている。外Cafeスペースも充分な広さ。

Cafe Alter店内

さて、コーヒーは?なかなかクリーミーなスティームミルクが腕の良さを感じさせた。最後まで"泡”というか「クリーミーなミルク」そう!フラットホワイトに"大切な”クリーミーさがコップのそこに残る感じ。
但し、残念なのはコーヒーの味。つまり、エスプレッソの「僕好みのパンチのある苦味とほのかな甘味」がない"軽い・マイルドな”味わいだった。

Cafe Alter

但し、Cafeとしてのバリスタの腕や'雰囲気、存在感はバッチリ!今度は食事をしてみたいCafeでした!


久しぶりのブログ

気付いたら11月の終わりから早3ヶ月近く記事を書いてなかった。

年末年始と忙しく(不動産業)、おまけにクリスマス前に引越し、そして年末年始はParty(NZらしい!BBQ!!夏真っ盛り!!!)づくしで年明けて仕事始めは自宅の売却活動と年越しの案件.......そして自宅の売却が決まったのが先週。

と、目まぐるしく動いて来たので「ついつい」更新をしていなかった。

昔、母に「継続は力なり」と口をすっぱくするほど言われてきたのに。

気持ちの切り替えに「サーカス&サーカス」というMtEdenのCafeに超久し振り(たぶん8年ぶり!本当に)に行ってきました。

circus&circus

やはり「店の作り」はユニークで、店の前の「ライオン」と「ピエロ」が“楽しい”気持ちにさせてくれる「陽気なCafe」です。

気分転換には「最適」!コーヒーの味もまずまず。ここでは、コーヒーがどうのこうの?っていうより、雰囲気を楽しんでもらいたい。え?美味しくないの??そういう事ではありません。僕個人としては、もう少し「苦み」がきいてて、ミルクがクリーミーだったらよかったんですが。結局、あれこれ“評価”をしてしまって。

また、CafeWalkしないと。


グラマーゾーン(AGS/EGGS)

僕にはもう一つの本業!そうなんです、不動産業というのがありましてこのブログでも少しずつ紹介をしているのですが(コーヒー屋のHPの為、極力少なくはしています)今後は少し書き続けて行こうと思っています。

��Zという国の「不動産」は、“株”や“債権”もちろん“銀行預金”よりも「堅い!」という伝説があり、貯金をするくらいなら「不動産投資」という一つの文化があります。

僕もかれこれ5年ほど前から始めており、現在はそれをNZでの本職(プロの不動産屋)にするまでになりました。
若い人でもアパートやユニット(大抵20〜30万ドル程度の物件)を所有して、レント(賃貸)で収入を得ていたり、3〜5年で売却しキャピタルゲインを得る!(そうです、貯金より利率がいいのです)なんていう”投資”をしているのが現状です。

ですから住宅販売も日常茶飯事で、車を乗り換えるかのように「転売」を繰り返す人も少なくありません。

そこで「何故?」という疑問は、日本人なら必ず持つはずです。

答えは「学校」による「転居」がメジャーでしょう。「学校」?つまり、この業界では「鉄板」の「グラマーゾーン」と呼ばれる地域。オークランドボーイズグラマー(通称;AGS)とエプソンガールズグラマー(通称;EGGS)を筆頭に、それぞれプライマリー(小学校)、インターミディエット(中学校)そしてグラマースクールやカレッジ(高校)の評判によって、その学区(ZONEと言います)の住宅地域の値段が大きく左右するまでになっています。

ですから、同じRemueraという地域でもZONEによって「価格差」が大きく生じているので確認してみる事は必要不可欠です。

現在僕の扱っている物件も「ダブルグラマーゾーン(AGS;EGGS)」の物件です。少し割高?でも、親は子供の為に「この地域」の物件を無理してでも“買う”、そして投資家もこの地域を”狙う”のです。

グラマーゾーン


このユニットは2ベットでトイレ・バスが一つ。フロアー面積が69?で$36万7000で販売中。?日本円で$1=¥64で計算すると2348万円ですよ。びっくりしませんか?でも、この手の物件は「安い」方なんですよ。
この地域で一軒家だったら、大体3ベットで最低$70万。つまり、4480万円なんですよね。それでも、値下がりする可能性は「低い」のがオークランドの住宅事情なんですよね。(もちろん地域差はあります)

言い忘れていましたが、この“グラマーゾーン”はオークランド市内の話でありますが(ほかの都市でも学校のいい地域はもちろん値段は“高い”です)、このニュージーランド最大の都市オークランドのこの地域の値段こそ「ニュージーで一番高い不動産地域」なのです。
昔でいえば、東京;銀座の高野フルーツパーラーですよ!!



スターバックスが?

早いものでこのブログを最後に書いたのは????何と今年の3月?

実はネタ集めにその後クライストチャーチ(南島の最大の都市)にイースターホリディーを使っていろんなCafeを巡って、「よし!クライストチャーチのCafe特集だ!」って思っていたのですが。

その後僕のもう一つの本業の不動産業が非常に忙しくなってしまい(貧乏暇無しですが)なかなか更新できない苛立ちと記憶と感動が薄れてきてしまい...

ところで最近ショッキングな出来事が起きました。

それはスターバックスNZ第一号店として、僕の記憶に鮮明に残るParnel(パーネル)店が12年足らずの営業に幕を閉じたことです。

スタートこそ華々しかったスターバックスですが、この国に合わせた慣れないフラットホワイトを出しながら、健闘してはいたものの、後続のグロリア・ジィーンズと共に最近衰退を見せていた事は事実です。

但し、そうは言っても「世界のスターバックス」ですからね。アジア人もこの国は多いし、フラペチーノで安定した客層を掴んでいると思っていました。

実は、パーネル店こそ僕がNZに初めて来た時に時を同じくしてアメリカから上陸した忘れてはならない思い出深い店なのでした。
当時大変お世話になっていたホームステイ・ママが、僕が日本で何をやって来たかを「かたことのエイゴ」で説明してたら、新聞記事を持ってきてこう言うのです!「あなたと一緒にスターバックスがNZにやって来た!何で挨拶行かないの?」???僕の英語にもちろん問題があった事は否めないが、相当の勘違いではあった。当時の僕はワー−ホリ(俗に言うギリホリ:ここで31歳の誕生日を迎えました)でしたので、慣れた仕事だし、働かせてもらうかな?なんて軽い気持ちで訪れました。しかし、大盛況で店はごった返し、正直スタッフも大変そうで、すごく手際も悪かった。とても挨拶出来る状況ではなかったし、僕にも「せっかくNZに来たのだから、地元のCafeの方が良いや!」という考えが沸き起こり、その場を後にしました。

結局僕はSierra(シエラ)で働き始めたんですけどね。実は僕のホームスティ・ママの義理の息子が今何故かシエラの経営者やってるんですよ。
すごい因縁を感じます。

そうなんです!そんな大盛況だったスターバックスも、その後Kiwi達からの評判は「今ひとつ」であった事は事実です。やはりここはまた違う「文化」の国。スタバの徹底したマニュアル(Cafeのマクドナルドなんて言われてます)が、この国のカフェスタイルに合わなかったのでしょうか。

そうは言っても、15年ほど前までこの国でカプチーノをCityで飲むのすら珍しかった国なんですよ。つまり、スタバブームとは別にニュージース対すのCafeとコーヒーロースターが独自の発展を遂げてきたんですよ。

日本ではもちろん確立されたその「名前」。
但しここオークランドでは12年でたったの12店舗くらい。しかも最近2店舗が閉鎖、そして既存店も縮小して来ている状況です。


個人的にこのコーナーでは御紹介してなかったのですが、パーネル店(すごく良い立地にあるし、雰囲気もよかったと思うし、流行っていたはず)だけは...........





オークランダーから見たクライストチャーチのお勧めCafe

もう三ヶ月も前の話なんですが、イースターホリディーでクライストチャーチに3日間(すごく久し振り?息子が生まれてからは初めて)行ってきました。

この地を訪れるのはかれこれ10年?いや11年振りでした。クライストチャーチは僕の住んでいるオークランドとは違い起伏のない「平野」!そう、周りに山がそびえていますが、基本街の中というかCity全体が本当にフラットで、坂の多い(平らな土地を見つけるのがオークランドでは近年特に難しくなってきた:不動産屋的視野からのコメントです)所に慣れている為すごく新鮮でした。

街の中を「エイボン川」(有名な観光名所)が流れていて、路面電車に、大聖堂。街並みは11年前と比べてあまり変わっていないような?オークランドは近年建設ラッシュで、昔はスカイタワーが「ドーン」てそびえていたのですが、最近は周りに沢山の高層ビルが立ち並び、大都市感が出て来ましたから(でもまだ人口は1.4ミリオンくらいですがね)。

もちろん、クライストチャーチといえばこのエイボン川沿いのCafe。真っ先にそこに向かい、記憶をたどってみましたが??やはり、11年の歳月(しかもたった2日しか滞在してませんので)でCafeはだいぶ変わったような気がしました。

クライストチャーチのフラットホワイトはカップが全般的に大きいのでは?と感じました。テイクアウェイは同じカップなんですけどね。何か得した気分でもあり、少しミルキーな(コーヒーアディクティドな僕には)気もしました。2杯目は「ダブルショット」で!

海賊カフェバー

昔はこの辺に赤いオーニングの店があったような気がしたんですが?そこで昔飲んで。まあ、いいか?今は基本「黒」ベースのお店が多かったですね。

そう言えば「コヨーテ」ってカフェバー&レストランがあって、ウェリントンにもあるんですよね。すごく懐かしかったです。

コヨーテ


タリーズコーヒー創業秘話 消し去られた真実 

私はこの一ヶ月という期間で、人生の中で”こんなにも衝撃を受けた事”はなかったです。「週刊文春の記事を見た!」という人(勿論、”本当の私の事”を、昔から知っている友人、知人、先輩、後輩、そして家族から、沢山の「問い合わせ」や「激励」や「事実の公開」への”拍手”等を頂き、12年もの歳月、私が放置して来てしまった「真実」をこのブログで伝えていこうと決心しました。

タリーズ写真

それは、7月の終わりの突然の日本からの電話で幕を開けました。

電話の向こうでは、週刊文春のB氏が突然切り出された「タリーズの創業時に共同経営されていた中澤さんですよね?」という問いかけでした。

何故?今更??
時に日本は参議院選挙が終わり、民主党が大敗して、タリーズ創業者と名乗る「松田公太」が当選を果たして間もなかった時の事です。

私の日本にいる友人から、その事を聞かされ「ふ〜ん」と言うのが私の感想だったのですが、彼がタリーズを成功させ、伊藤園に売却した大まかな事は遠く離れたニュージーランドでもYahooのニュース等で見ることは出来ます。
��よく成功したな!」と感心していたのも事実ですし、自分が最初に手掛けてきたタリーズがここまでになった事への「誇り」も少し感じていました。

ただしあの時(創業時)に、私の母名義の土地を担保に出して、国民金融公庫でお金を借りていなければ、ここまでにはならなかったでしょう。

話はB氏の電話の内容に戻りますが、「松田氏が本を出版されているのを知っていますか?」との問いかけに、知人や友人からその存在は聞いていましたが「内容」については聞かされてなかったので、「存じていますが、内容については知りません。」と答え、私も一介のビジネスマンでありますので、忙しい日々に追われていますので「電話の趣旨と本の内容をE-mailで頂けないか?」と交渉して、その電話はそこで終了しました。

次の日の朝、メールを受けて「驚愕な捏造」を知りました。

タリーズの成功の話は、その時は読んではいませんが、B氏から送られてきた「どうやって開業資金を工面したか?」の部分と「ビジネスパートナー;ミッキー」の2つの部分の抜粋を頂き、”悔しく”そして”情けなくて”どうしようもありませんでした。

実はこの取材は、私が久し振りに日本に帰国する10日くらい前の事でした。
その後、週刊文春から「私の言葉」として(勿論、言いたい事のほんの一部ではありますが)出版されはしたのですが、その後の松田氏のコメントを見ても謝罪の意向もなく、むしろ”開き直り”でした。

彼が言う「あの本が全て真実!」と開き直るのであれば、私も「真実を一人でも多くの人に伝えていきたい!」

そう思って、このShopのブログには”ふさわしくはない”とは思われますが、私の名誉や家族(特に、将来あの本の存在を知るかもしれない息子)、そして本当の私の事を知って頂いている方々の為にも「消し去られた真実」を綴っていきたいと思います。








タリーズコーヒー創業秘話 「すべては一つの作り話から」

すべてのコーヒー〜
残念ながら、この「すべては一杯のコーヒーから」という本に感銘を受けた人は少なくないと思われます。
ただ、「真実」を伝えるという事は私の使命だと感じて、この本の裏側にある「真実」を綴っていきましょう。

スぺシャリティーコーヒー〜

第一章の部分で、彼は”ボストンから帰って、96年4月にスペシャリティーコーヒーを求めてシアトルへ行った!”と書いていますが、私はその時はまだ、一緒にロコ・トレーディングで仕事をしていませんでした(まだ三和銀行銀座支店で勤務)が、この話は私がロコ・トレーディングに入って(97年1月)から彼と2回目のシアトル(確か97年の5月)に行った時の話です。

”何故か?”

彼は最初、私が入る前から「アイスクリーム会社のダンケンズ」とコンタクトを取っていたのは事実です。私も彼の「アイスクリー」熱」(彼はアメリカ育ちなので、彼の育った世代には、まだスぺシャリティーコーヒーはアメリカには存在していませんでしたので、ベン&ジェリーとかダンケンズの方が彼には魅力的だったのです。その当時、ハーゲンダッツは日本で大ヒットしていましたので・・・。)の高さには感心していました。

但し、「アイスクリーム」です。夏は良いけど、冬は??

私は「根っからのコーヒー馬鹿」ですので、「お前、よくそんなにコーヒー飲めるな!?」って言われるくらいのコーヒー好き。今でもそうですが、とにかく96年のスターバックス銀座店の成功を斜向かいの三和銀行で垣間見て、「これだ!」という確信がありました。
そこで、2回目のシアトル訪問の際に、私の熱い想いで”コーヒー屋を当たろう!”という方向転換をし、本に出てくるイタリア人のオジさん(ヴィヴァーチェ)のお店を訪問したり、勿論、メインはタリーズ(これもアイスクリーム屋のダンケンズ・ダンの力添えで実現した話)と合計確か、5店舗くらいを訪問した記憶があります。
確かに、ウィヴァーチェのオジさんはただひたすら「コーヒーの輸出による品質の劣化」を”ネガティブ”な意見として言って来て、(でもある意味プロ意識が非常に強かった)我々との取引にはすごく後ろ向きだったです。

つまり、”タリーズをやろう!”という話になったのは、紛れもなく、97年の2月以降であって、その半年後に「第一号店」を銀座にオープンさせたのです。
既に、スターバックスは4店舗を成功させていた時です。そして間違ってはいけないのが、「ダンケンズ」が最初であって、そのあと「タリーズ」が出て来た事であり、”ダン・サムソンこそ、我々をタリーズに近づけてくれた有難い人物”なのであります。

メールを送り〜

この本が「英語訳」になっていたら、ダンもタリーも読めるので、私以外にも「この作り話」を証明できるのに.......


まあでも、そんな感じで「すべては一つの作り話から」を綴っていきます。




ESQUIRES(エスクワイアーズ)CAFE

エスクワイアーズ コーヒー

このCafe、意外に店舗数を伸ばしている。何とNZで47店舗!
しかも南島にもネルソンとクライストチャーチを基盤に展開中。

いったいどこのCafe?

調べてみるとカナダ生まれのようです。
他にもイギリスやアイルランド、サウジにアブダビ、そして中国と意外なとこで「展開」している最近では注目のフランチャイズ経営で成功しているCafeなのです。

メニューは「特出」している物はこれといってないのですが、私の住んでいるHenderson(Waitakereブランチ)の女性のバリスタ(たぶんオーナーかマネジャーぽい人)の入れてくれたフラットホワイトのミルクの「美味さ!」に感動しました。

最近飲んだフラットホワイトで「一番」美味しいミルクでした。

思い起こせば12年(もうすぐ13年)前に初めてここオークランドに来た時、オークランドのCafeは今のたぶん5分の1くらいの数。個性的な店とバリスタが、Cafeの聖地「High Street」を中心に賑わっていました。そしてその濃厚なクリーミーなミルクで作られたフラットホワイトという「生まれて初めて飲む」ドリンクに魅せられました。

その感動が!蘇ったのです。

Esquiersのコーヒー豆は100%アラビカのフェアトレードのオーガニック豆を使っているようですが、ロースとは若干浅め(NZ系に似ている)でミルクとの愛称は非常にいい感じ。もう少し「苦味」が欲しいと思いましたが、これは使用している豆のブレンド(原産国)の種類かな?と感じました。

とにかく「あの女性バリスタ」のコーヒーは飲んでみる価値あります。

タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 2

一般的に何故、成功を収めた人間が、この本で事実を「捏造」したり「妄想」としか思えない事を綴っているのであろうか?

「次の真実」はたぶん多くのこの本の読者にインパクトを与えた部分です。
この本を買った人のコメントで「帝国ホテルのレッドカーペットのシーンが......」
私は、この部分を読んで、その人に申し訳ない!とすら感じています。

トムへの

��事実」はこういう事です。

まず、トムに会うのはほんの一瞬で、しかもシアトル。(2回目の訪問時)彼はシアトルマリナーズの話をして(たぶん長くて15分くらい)我々をタリーズの店舗や工場に案内してくれたのは、殆どが副社長のアールジェー。(社用車がHUMMERだった事には驚きましたね。)しかし、この接見が実現したのは前の回に書いたように、ダンのおかげでした。我々はダンが手配してくれたシアトルの街中のFourSeasonsに待機して、ひたすらタリーズからの連絡を待っていました。確か一日目は「空振り」。そして2日目に「招待」を受け、やっとアールジェーのお迎えのHUMMERで、本社で会談する事が出来ました。

余談ですが、正直ダンが取ってくれたFourSeasonsHotelは,
当時の我々の財力には身分不相応も良いところ。「アメリカのビジネス界」というものを思い知りました。ましてやこちらは「弱小零細企業」。でも大きく見せなければ、このビジネスは上手くはいかない、絶対に。幸い、我々の事を知るアメリカ人はいない。ましてや大手と呼ばれる会社でも彼らにとっては一取引先。ダンのような学生企業を自分で立ち上げた人には親近感と期待、そして、応援の気持ちで我々にチャンスを与えてくれた!と今でも信じています。結局、この一流ホテルに泊まりながら、食事は外の「安いステーキ屋」みたいなところで済ませ、ひたすらタリーズからの連絡を待っていた時は、惨めでもあり、またこの一回の交渉に賭ける想いが頂点に達してもいました。

つまりトムと会ったのは、2回目のシアトルで。
オープン前に最初で最後、97年の5月頃。彼は日本には来ていませんし、オープン前には、アールジェーが来ただけでした。

では、この話は何???

私の記憶では、当時スターバックスが成功を収め、次のシアトル系のコーヒー会社を探していた我々は「シアトルズ ベスト コーヒー」というシアトルでは第2位のコーヒー会社に目を付けていました。当時のタリーズよりは、はるかに「大規模」で、シアトルのマクドナルドのコーヒーはこの会社のコーヒー豆を使っていましたので、他のマック(アメリカ)のコーヒーに比べて、格段に美味しかったです。この全米第2位のコーヒー会社の社長が東京新宿の、確か「センチュリーハイアット」に来ていた情報を得て、「直談判」に行ったのは事実です。
結果は当然「NO」。我々など相手にもしてくれませんでした。当時彼らは、同じシアトル出身の「エディーバウアー」というアウトドアー系のカジュアル洋服、及び雑貨の会社とコラボして「エディーバウアーCafe」で日本進出を決めていたのです。当時新宿の南口の再開発で高島屋が出来て、その中に確か、一号店をオープンさせました。それで新宿に宿泊していたのです。

その後、タリーズをはじめシアトルの残されたCoffee会社との交渉を計画し、資金計画を進め(家族や親戚、そして国民金融公庫からの借り入れ)、そして悔しくも私の祖母が亡くなった日(1997年5月)我々はシアトルに旅立ったのです。

シアトル

そこで”初めて”タリーズのトムやアールジェイに会う為に!



松田参議院議員からの電話 9月28日2010年 

私は本業の不動産業で、日々、忙しい暮らしを送っていますので、なかなか連載出来ないのが現状です。それでもこのブログを御覧になっている多くの方々から「本との具体的な相違=捏造部分を教えて!」とか、「もっと早く知りたい!」という様々な要望、応援のメールを頂いたりしていますので、今後なるべく詳しく書いていきたいと思っています。そしてUpDateも頑張ります。
この本を買ってもらっては困るんです。私はこの捏造本の「撲滅」「廃盤」を求めていますから・・・。これからも尚、本の著者、政治家としての「責任」を追求していきます。

実は、9月28日火曜日のNZ時間9時頃、松田公太本人からNZの自宅に電話がありました。内容は、簡単に言えば「日本に来た時は飯でも食って話をしよう。」と。「”事実の告発”に関して、会って話がしたい。」との打診が本題でした。遠まわしの「火消し作戦」です。勿論、「話をするのは”まずこの本をどうにかしてから!”この本が解決すれば、会う事はそれから考える!」と突っぱねました。

当たり前です!
会う訳ないでしょう。”こんな本書いてて、どの口がそう言える?”正直見て見たかったですけどね、顔を。

最後に、「携帯電話の番号を受け取って貰えないか?」言ってきましたが、「いらない!日本での面会も本の存在がある以上は無理。」と拒否すると残念そうでした。彼はしきりに「俺の本はたかだか10万部、ミッキーの週刊文春(私はあくまでも取材に答えただけですが。)は60万部以上!だからこの本の影響は少ない!なんて無茶苦茶な事を言っていました。
そしておまけに、「えっ!?読んでなかったの!!!?」”お前何様だ!”って言うのが私の本音です。こんな事を書いておいて、「何で読んでないの?」と言わんばかりの図々しい態度には驚きました。うちの母親名義の土地を担保に入れて、借り入れを起こし、私が抜けた後も担保はその後3年間継続して担保として提供し、私自身も連帯保証人として、いつ来るかもしれない「倒産」の2文字に怯えながら、度重なる返済遅延(私たち家族への個人借り入れ返済)に文句も言わない我々を良いことに、私の事を「あんなにもコケ落とし」(あの本のミッキーは、単なるお気楽、能天気な変人キャラクター)、私の家族へのリスペクトを完全に無視した「すべては一杯のコーヒーから」という”妄想、捏造本”を書いている政治家が最後に言った言葉に私はキレました。

「返済が終わったので、お前の実家の住所とかすべて消去した!」

私は本当にこの新人政治家(タリーズ創業者)には呆れました。私の母はタリーズオープンの97年の9月にアルツハイマー(当時57歳)と診断され、それがタリーズを去った大きな要因だったのです。どうやって開業資金が集められたかを開業資金についての章でまた詳しく綴っていきますので、それを読んで頂ければ私の気持ちが分かってもらえることでしょう。

正直、今回の電話での私の反応に、本人はバツが悪そうでした。そして私も追い討ちを掛けるようにある出来事(本には私がNZに行った後、タリーズ本社に現れて、彼は外出していて”直接会っていない”...)について聞いてみた。私はNZの永住権の申請に必要な「勤務証明書」(ロコトレーディングの代表取締役として働いていた証明書をNZの移民局に出す書類)のためアポを取り、確か笹塚辺りのタリーズ本社に松田本人のサインをもらいに行って、”10分くらい世間話をして、本当は会っていた事”を問い詰めた。彼は勿論口ごもり、何も言えなくなってしまい、話を変えてきました。(この時のやり取りで、一気に色々と思い出しました。昔もよくこうやって、はぐらかされたり、ごまかされたりした事を・・・。)

この電話は25分くらい続きました。最初に受話器を取ったらハウリングして、もう一度掛け直してきました。、政治家ですから”録音”でもしていたんじゃないでしょうかね?会話を。内容についてはまた記事と照らし合せて綴っていきます。


前置きが長くなりましたが、捏造はまだまだ続きます。

日本における利権獲得

帝国ホテル?でトムに会った話(1996年と書いてありますが....まだ彼は銀行に居たはず。)そして、行ってもいない妄想の3回目のシアトルの話.....
その3回目のシアトル訪問(真実は2回目の。前回の話で書いた話です)で、
シアトルで有名なシーフードレストランでの契約交渉!?これは本当はダンケンズのダンが自前のクルーザーでシアトルの水上クルーズしてくれて、所謂「アメリカンドリーム」的なビジネスミーティングに招待してくれました。実際ボート音もうるさいし、英語は聞き取れないし、ほとんどアクティビティーそのものでしたが、あれにはシビレました。これぞ!アメリカ!!みたいなダンのもてなしに我々も有頂天。その後、シーフードレストランで飛び切り美味しい(でも覚えてないんですよね、何を食べたのか)を済ませ、最後はダンの自宅に御招待を受け、彼の奥さん(確か元ミスバンクーバー)ともお会いして、素敵なシアトルの夜を過ごす事ができました。確か「万年筆」はダンからの物だったと思います。僕は貰えませんでしたから。あの時、たぶん英語の不十分な私を「共同経営者」と紹介する事無く、ただの「店長」くらいの扱いだったんでしょうね。今思い返せば。

ですからこの本に書かれているような「タリーズとの契約」はシーフードレストランでは在り得ませんでした。契約は事務所で淡々と行われ、たぶんトム自体余り期待してなかったと思います。たぶん日本から来た豆を買ってくれる、良いお客さん!程度だったかもしれません。
この本の全ては「ダンケンズとロコトレーディングの劇的な契約物語」がタリーズに置き換わっています。そうなんです。シーフードレストランは「ダンケンズ」との契約だったはずです。本当にダンが可哀想です。

さてタリーズの契約内容は?
タリーズとは一年契約で確か200万円の契約金でした。内容については日本での独占販売契約というザックリした物でした。後のこの契約書が「タリーズの大問題」に発展するとは夢にも思いませんでした。(私はその時は外部の人間で、この本を読むまで知りませんでしたけど)
契約金が「ゼロ」?とこの本には書いてありますが。もし本当なら彼から私は騙し取られた事になりますね、この200万円を。








タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 3

この本の第1章は、素晴らしく「創りあげられた物語」で完結しているのですが、また第4章から再開して来ます。第3章には銀行員時代の事が書かれていますが、御存知の様に、私も彼と同じ三和銀行(現在の東京三菱UFJ銀行)で同期として過ごしてきました。もちろん支店や周りの環境は個人差がありますが、私は彼のような経験、特に同じ外交(営業マン)として、自分の数字をごまかされたり、冷遇された事もありませんでしたので、この事を否定も肯定も出来ません。ただ私は日本で生まれ育ち、感覚的に社会のルールや文化を肌で感じてきましたので、上司との付き合いの中で彼ほどの”屈辱”(?)を受けた事はありませんでした。

幻の広尾一号店

第4章では店舗について書かれています。幻の一号店?「広尾」。但しこれはダンケンズとしての店舗予定地でした。アメリカのアイスクリーム=外人=広尾?という発想(もちろん聖心女子大もありますし。)で、とても25歳以上の男性女性をターゲットにした店作りとはかけ離れてますよね。ですからこの店舗はアイスクリーム構想の第一号店だったのです。

では何故?コーヒー路線に変更したか??

実は私は、彼の進めていたアイスクリーム展開に疑問を持ち(季節産業)、ロコトレーディングで昼間、電磁波防止商品やコーロギ入りチョコレートを販売(両方とも渋谷の東急ハンズで販売してもらえました。売上げは??でしたけど。でも電磁波の素材に関しては、私自身東京大学の理工学部の助教授から問い合わせを受けて、営業に行った事もありました。)をしつつ、”これでは駄目だ!そして、この先はアイスクリーム???”
という疑問を抱き、実際に”業界の中身を探ってみよう!”と決心し、アルバイトとして赤坂のスターバックスと西麻布のホブソンズでお世話になりました。実際、その3ヶ月位は、昼はロコトレーディングの本業。午後からはアルバイトと身を粉にして働きました。
勿論、後に”コーヒービジネスをやるんです!”という事は内緒でいた。
スターバックスコーヒーでは、店長をはじめスタッフの皆さんには大変お世話になりました。外から見ていたスターバックスと、中から見るのでは「大違い」でしたから。(良い意味で。)そこで研修を受けて、実際、店舗で3ヶ月ほど確か週4日くらい働かせてもらい、とにかくコーヒービジネスの将来像を掴み、同時にタリーズ、または他のコーヒービジネスへの野望を膨らませていったのです。ですから、英語の堪能な松田は「タリーズ担当」(主に輸入取引手続きと仕入れ等)、そして私は彼の言う「店長」(?)というか「店舗運営」にその経験を生かして着々と(無茶苦茶な話ですが、実際は3ヶ月くらいでオープンまでにこぎつけました)実行していったのです。元来タリーズはスターバックスのコピーでしたから(アメリカ本社自体)それを日本でも実行しただけなのです。

私が聞いた話はこういう事です。ある日、不動産を保有していたタリーズ社長トムのところに、スターバックスから事務所を貸して欲しいという話があり、トムはそれまで全く興味を示していなかったコーヒービジネスを調べてみた。すると、飛躍的に伸びるスターバックスの成長をみて、「よし!俺もこれやってみるか!」と思い付き、タリーズコーヒーを立ち上げた、という事です。非常に真実味のある話です。そんなタリーズですので、前回も書いたように「独占販売契約」という形で、日本の1号店を開く際に「マニュアル」はほぼ存在していなかったのです。後に、アールジェイ(副社長)から渡されたアメリカ版タリーズマニュアルと、スターバックスの日本のマニュアルを比較してみましたが、殆ど同じだった気がします。ただ違うのは「フェロー」と「スワークル」位だった様な気がします。

そして私が恐怖に慄いたのは、タリーズオープンの日。スターバックスの管理部門の方(全店長達とマネージャークラス8名程)が私の前に現れ、タリーズの全商品を一個ずつ注文して、すべて味、作り方等を何も言わずにジィーっと見て、味見をして(確か少し味についての厳しいコメントをして)帰っていったのです。あれは本当に「冷や汗」では済まなかったですね。

��それではアイスクリームは?}
コーヒー業界に賭ける私には、スターバックスがメインでした。
それでもホブソンズは、週末の夜の時間帯を選んで働いてみました。当時は千葉に住んでいましたので、終電には乗れず、いつもお店で店長と仮眠を取って、自宅へは翌朝帰っていました。週末でしたが、時期は4月から6月。六本木で週末を遊んだ人達が確かに来てはいましたが、コーヒー程の爆発的な、しかも長時間営業は正直、成り立ってはいませんでした。

��やっぱり!コーヒーしかない!!」

この経験を元に松田と話し合い、5月のシアトル行きは完全に「コーヒー」狙いの旅になったのです。

余談ですが、タリーズは当初から「喫煙OK」をスターバックスとの差別化とし、価格もTallサイズを少し安くして、日本人の「真ん中思考」(つまり3種類あったら真ん中、つまりTallサイズを選ぶ傾向がある。これが他社より安かったら....)を狙っていったのです。喫煙席の発想は、スターバックスでアルバイトをしていて、お客様が「コーヒー飲むとタバコが吸いたい!!」という声を聞いていましたので、タリーズはこの顧客層を取り込もう!(私自身愛煙家)と思い付いたので、店のコンセプトに加えました。

脱線していってますが、店舗の話に戻ると
��どうやって銀座に物件を確保できたか?」
ですが、答えは簡単です。
私は前述したように三和銀行の銀座支店に96年12月前在籍しており、田崎さん(ビルのオーナー)は銀座支店のお客様だったのです。そして、三和銀行の関連会社の方も、私が行員時代に色々とお世話になった方で、この話を持ってきて頂いたのです。問題は、ただ単に「金額」でした。
この本に書いてあるようなドラマチックな「直談判」などは無く(前述した帝国ホテルでのトムへの直談判程の妄想ではないのですが)単に我々が”保証金3500万ほどを払えて、毎月150万近くのレントを払っていけるのか?”それが「大問題」でした。

そしてこの話は次に綴る「どうやって開業資金を工面したのか?」に続いていきます。

RobertHarris(ロバート・ハリス)コーヒー

��Zの13年前といえば........
それはそれはCafe産業の発展途上段階で、初めてスターバックスがパーネルに出来て「アイスラテ」やら「フラペチーノ」がKIWI達を驚かせていた時代。
そしてNZブランドといえば、ATOMIC SIERRA COLUMBUS BB'S(AUS)等のチェーン店、でもそれよりもっと前からスーパーマーケットの棚を占領していたNZのコーヒーのパイオニア:そうです!RobertHarrisなのです。

ロバートハリス1

��000年に入り、Cafeブームに乗り遅れはしたものの、KIWIのSoulコーヒー的存在力でCafeも積極的に出店しており、スーパーの棚占有率依然60%を誇る老舗。

私の好みではないので今まであまり紹介する機会がなかったのですが、沢山のフレーバーコーヒーも手掛け、全部で15種類くらいのバリエーション(しかもスーパーで他のブランドと比較すれば一目瞭然、低価格!なのです)を持つ、NZで知名度No.1コーヒー会社です。

今回は私の本業の一部”飲食店開業コンサルタント”を行っているお店の前に「カッコいい!」お店を見つけてこの記事を書いてます。
��Zの会社は「黒」(オールブラックス;ラグビーが有名ですからね)を好みます。さすがNZの老舗!こちらのお店も「黒」を基調に店舗展開しています。
但し最近出て来たTHE COFFEE CLUB(AUS)とかぶってしまっている。

ロバート

日本にはなかなかない「黒」いコーヒーチェーン店。しいて言えばドトールですが、「黄色」が目立つ為、「黒」いイメージはあまりないのでは。

是非、KIWIのSOULコーヒー;ロバートハリスをNZ滞在中に味わってみては?
��尚、類似品(名?)のRobertTimmis(ロバート・ティミス)とBurton Harris(バートン・ハリス)とお間違えのないように。

タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 4

どうやって開業資金を工面したか?

この章を今年の7月の終わりに週刊文春さんから教えて頂き、
「ちょっと待て!」と私は怒りを感じるしかありませんでした。

どうやって開業資金を調達したか?

��千万円!という「重み」がどんな物だったのか?
この本には「私が」と松田がすべての資金を調達したかのように書かれています。

大嘘です!

正直、私も手元にあった資金は300万程度、彼は200万程。とてつもない数字の開きがありましたが、将来への可能性に掛ける想いは想像を絶していました。彼も親戚中を回り、彼の嫁さんの親戚をも当たりましたが、集まったのは5百万、そして知り合いの方だったと思いますが残りを借りてトータルで1千万程。
私も同様家族からの資金援助を依頼して1千万程しか集まりませんでした。確か機材をリース契約したり、デザイン会社経由で資金調達したり、初期投資を極力減らし、最後の最後には10万単位で人に借りたりして、何とか自分達で集めようとしました。しかし、まだまだ足りない。松田は「もうダメだ!」とうなだれて諦めかけていました。
私は最後の切り札である母名義の土地を「担保」に出してもらえないかと両親に頼み込みました。私には兄がいます。もちろん将来的には「相続」という事を考えれば「兄」の承諾も必要です。その頃、かねてからの糖尿病と痴呆症を煩っていた祖母の看病に両親も疲れきっており、とてもそんな事を頼める状況ではなかったのですが、「夢」に突き進む”若い魂”!「俺の人生に賭けてくれ!」という勢いで頼み込み、家族の大切な資産を担保に「資金調達」を実現させる事が出来たのです。
彼は一度もお願いにも来ていませんし、お礼にも来た事はありません。

但しこの「担保」「連帯保証人」という重責を、私がタリーズを離れても3年間”背負って”生きてきた家族がいたのです。

それが「私の家族」なのです。

何故?私はタリーズを離れたか?

��つの大きな理由があります。

?母の「アルツハイマー」(若年性痴呆症)

?さらに大きな理由として「共同経営」の破綻

この事業は2人の分業体制で成り立ってきました。彼は英語力を駆使してタリーズ本社とのコミュニケーション、輸入業務等。私は前述したようにカフェでの勤務の経験を生かし店舗の設計とコーヒーの技術、店舗サービス等店舗運営中心に分業体制でオープンまで突き進んできました。

本当に寝れない日々が続き(ほとんど一日中仕事でしたから)気力も体力も限界、でももうすぐ「夢」が実現する!という気持ちで一杯でした。プレ・オープン前夜のエピソードなのですが、確か夜中の1時頃ようやくすべての店舗の設備や清掃が整い、「ふー」と寛いでいた時の事です。
私が何気なく地下の客席に下りていくと、「嘘だろう!」って光景が目に飛び込んできました。なんと地下の客席の壁に何と何百という「ショウジョウバエ」がびっちりくっ付いているではないですか。新品のソファーや塗り立ての壁に。そして恐る恐るトイレ(実際お客様の使うトイレです)の電気を付けると何千ものハエが便器の隙間から湧き出してきていたのです。
疲れているなんて言ってられません!業者も含め、皆で手分けして夜中の銀座周辺のコンビニをあさり、何とかバルサンを10個ほど(それしか手に入らなかった)散布し、その後また清掃を行い、確か終わったのは朝の4時を過ぎていたでしょう。それから数時間後にタリーズは「産声」を上げました。

さて話は戻りますが、オープンして週休7日。休みなし。
��フェロー」には私がスターバックス時代に一緒に働いていた人に頼み込んで兼業、またはこちらで専業になってもらったり、松田の妹さん(当時青山学院の学生)とそのお友達、そして一般からも募集して「第一次フェロー」が誕生しました。スタバの子達やヒロミちゃん無くしてこの店は回らなかったです。
朝は6時にお店に着き、マシーンの立ち上げから当時デリバリーしてもらっていた銀座の「木村屋」のパンを並べ、狭い店なので下の客席からコーヒー豆や備品を取り出し開店準備。そして7時オープン。それから夜10時まで(週末は12時まで)営業し、掃除をして、ストック管理して・・・みたいな毎日。当初私が週4日、彼が3日と決めて始めましたが、彼は一日すらまともに来ませんでした。いつも遅れて、ひどい時には来ないし、電話をしても出ない、言い訳は全て「タリーズといろいろ交渉があるから」!?日本とアメリカは時差があり、朝から昼間は向こうはもちろん「夜」。つまりこちらの夜に向こうはやっと動き出すのに「一体何をやってるんだ?!」といつも私は彼に問いかけていました。残念な事も聞かされました。最悪なのは、彼が当時親しくしていた女性の事。(私が辞めた後タリーズでバリスタをさせ、後に役員にも・・・。)
人生を掛けた一号店のオープン直後、神経を逆なでするような”プライベート”を平気で私に「相談」したりしていました。こっちは寝てないし、疲れきって、お腹へって....ボロボロの状態だったのにですよ。「あいつは本当に何やってるんだ!!」彼に対する”不信感”が、私の中でどんどん大きくなっていきました。私は朝から夜まで働きっぱなしで、もちろん店に泊まる事も多かったのです。何とか家に帰っても、熟睡しないよう、ソファーで1時間足らず仮眠してまた出勤。(これも大きな原因の一つで離婚も経験しました。)

共同経営の破綻として決定的な出来事は、彼の不可解な行動です。何故か私にオープン以来「銀行通帳」を隠し続けたのです。彼が店に来ると、必ず「売上金」を回収していくのです。もちろん私が店を離れる時は、河童橋に備品を買いに行く時や両替に行く時くらいでしたから。給料を一切取らなかった為、食事といえば朝から陳列していた「木村屋」の売れ残りの”カピカピ”のパンを一日一食取り、夜、店を閉めてからコンビニのカップめんを食べたり、家に帰れた時は用意していてくれた食事を真夜中に取るくらいでしたので。(2ヶ月で15Kg痩せました。)
冒頭に述べたように、資金的な負担は私の方が担保も含めて多かったのです。でもそんな私は会社の会計状況を知るすべもなく、日々店舗経営に追われ、「共同経営者」という立場を全く無視されてきていました。

”何故、隠していたのか?”今でもまともな答えは貰えていません。(”忘れた”か、”忙しかった”の他は、のらりくらり。他の話題にすり替えたり。)但し、この事業から私が手を引くという手続きを終えた時、初めてコピーを渡されました。


もう一つエピソードがあります。
それはプレ・オープンの日(あのスタバの幹部達に睨まれる前日)プレスの方々や招待客、そしてお互いの両親等を招いてセレモニーを行いました。
その日、彼は社長気取りで立ち振る舞い、私は2ヶ月ぶりにあった母に異変を感じてはいましたが(すこしボケている感じだったので。)その時、私がメインバリスタだったし、注文のドリンクをさばいたり、とにかく”忙しく”すぐそこにいる両親へ感謝の言葉すら掛けられない状況でした。そしてあの社長気取りの男は、”一言”挨拶をした程度で、後は自分の家族と一緒に下の客席でコーヒー飲みながら話していたりして、「担保」提供者の母の事は”何とも思っていない”様子だった事が今でも悔しいです。
それから2ヶ月、私は彼に良いように”利用”された書類上だけの「共同経営者」、そう「雇われ店長;但し無給」だったのです。

そしてもっとひどい事に、彼はアルバイトの子達に「私」に対する誹謗、中傷をし始めたのです。私の彼に対する不信、不満は増幅し続けていきましたが、彼の妹も働いているし、その友達、ましてや”開店したばかりでトップ2人がお互いを中傷しているような事はあってはならない”と全てを心にしまい込んでいました。後に、この本に出てくる「ミッキーの勤務態度」で彼が語っていく事件に繋がっていきますが、これについては次に綴ります。
何度も言いますが、出資比率で考えれば「私」が代表者でもおかしくない状況だったのですが。”例の事件”が起き、私は店をも離れる事を決めました。

私は店を離れ、フランチャイズの動きを始めました。銀行員時代のお客さんに話を持ちかけ、何とか(自分だけの新しい事業を展開して行こう!)と。タリーズを、松田が銀座店、私はFCとお互い分かれて行く道が最後の選択肢だったのです。しかし彼は当時、猛烈に反対し、そして「もう、あいつとはやっていけない」と決別を決めました。

但し、そんなに簡単に「決別」出来る話ではありません。
担保と保証人。本来なら私がタリーズを離れる時に清算するべくものなのですが、もしそうするならば、タリーズを「潰す」しかありませんでした。何故なら彼には資産はありませんでしたし、担保に代わるものがなければ、「返済」を求められるし、仮に「潰れたら」お互いというよりも私の家族が大損!全て取り上げられてしまう訳ですから。

これは苦渋の選択でした。

残念ながら私は当時、タリーズ本社とコミュニケート出来るだけの英語力を持ちえていませんでしたし、通訳を雇うお金もないし、八方塞でした。自分のふがいなさを「呪い」ました。
もう一つの道しか残っていませんでした。

つまり「生かす」道です。債権者である私の家族を説得して、彼と契約書を結びました。

��紳士的」「常識的」な資金返済契約でしたが、口頭で「遅延は認めない」と念を押して置きました。でも実際2,3度遅延する事もありましたが、こちらからとやかく言った事はありません。本当に良い債権者だったと自分でも思います。

私はタリーズを離れ、両親の住む山梨に行き、暫くは母の病状を抑えるべく「穏やか」に暮らしていました。地元の「ドトール」コーヒーで店長として働き、私の夢の炎を静かに灯していました。母の状況は「回復」して来たように思えました。今思えば、30前後の一度「勝負を仕掛けた」男がこのままで良いのか?という気持ちで「良くなってきたように」思いたかったのかも知れません。
そしてタリーズの状況を毎月通知する”約束”でしたが、実際3ヶ月に一回来れば良いほうでした。数字は決して良いとは言えませんでした。

��このままでは、やばい!」

そう思って、単身ニュージーランドのオークランドへ「語学習得」(30歳を超えた私にワ−キングホリデイでいける国はそこだけ)とタリーズに代わる新たな商売を探す為旅立ちました。もちろん最終目標はシアトルでした。
ミルフォードビーチ



タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 5

いよいよ捏造と妄想の頂点とも言える部分に入ってきました。

ビジネスパートナー ミッキー

��ビジネスパートナー ミッキー」です。ミッキーとは私、中澤 美貴(よしたか)の事です。ニュージーランドという外国人社会の中、このニックネーム(タリーズでも外国人向けに使っていましたが。)を使い続けて今日に至っています。それは”タリーズを立ち上げた誇り”でもあり、郷に入れば郷に従え!の精神の一つでもあります。

さてこの章は、最初から最後まで私を「変人」扱いしています。しかも、一部の人達には一目瞭然の”ミッキー”という呼び名を無断で使用しており、これは名誉毀損であり、言論及び報道・出版の自由を逆手に取った「おぞましい行為」として出版停止と回収を、前回の松田からの電話の中で「要請」しました。

私がここで綴ってきた内容以外にも”疑わしき点”は沢山ある事でしょう。
勿論、私が知る由もない事が書かれていますので、それについては触れる事は出来ませんが、少なくともこの本の3分の1(33%)は「捏造」である事を、私はこのブログで訴えています。

それでは本題に戻ります。

まず「オレの事はミッキーと呼んでくれ!」???

私は自分から進んで「呼んでくれ!」なんて頼んではいませんし、フェローも誰一人そう呼んでいませんでした。松田ただ一人がそう呼んでいただけした。

彼とは三和銀行の同期で、研修で知り合い、なんかお互い気があって良く会うようになり、いつしか「親友」とお互いを感じるようになっていました。一緒にサーフィンやダイビング、嫁さんを連れて映画見に行ったり.....
どこにでもあるような光景です。彼のバックボーンがアメリカでしたので、彼の青春時代の話はすごく興味深い物でした。今思えば”疑わしい”ですけどね。そして彼はこう言った。「俺はアメリカで”こうたは呼び辛い”との事で、KOOTS(クーツ)と呼ばれていた。中澤、お前は何が良い?」、当時は若く、彼と一緒に遊んでいたのでノリで、「俺は昔から”(美貴)みき”と呼ばれてからかわれてきた。でも”みき”は英語風にいえばMICKEY(ミッキー)だから、ミッキーってのはどう?」、そして彼は「そうだな!ミッキー、良いじゃない。今度からミッキーでいこう!」なんて軽い話が今の私のニックネームの始まり。私個人的には外国人にすぐ覚えられる名前なので気に入って使ってますけど。やはり「外国」で名前を覚えられる事は、自分の存在を”認知”してもらえる意味で大きいと思います。NZの語学学校でも先生達にすぐ覚えられるし、Cafeで働いていても「英語のままならない私」をスタッフ達がすぐ覚え、気さくに話しかけてくれたのも、このMICKEY(ミッキー)という名前のお陰だったのでしょう。

「アメ車以外は車じゃねえ!」???

私は彼のように、嘘は言いませんし書きません。アメ車は好きでしたし、シボレーのカマロという車に3年くらい乗っていました。とかくアメ車のイメージは悪く思われがちなのですが、これは趣味の世界でもあるし、銀行の同期の中にはフェラーリに乗ってる人もいましたからね。彼はテラノの新車を乗ってましたよ。たぶん値段的にはあまり変わらないし、単なるイメージの問題で、この本にも「悪く書く」には持って来いの素材だったんでしょうね。アメ車に乗ったのは後にも先にもその3年間だけです。アメ車独特のあのトルク感は他の車では体験出来ないでしょうね。良い思い出です。

そして、「ブルース・スプリングスティーン?」

これもすごい脚色ですね。アメリカ=Born In The USAなんでしょうね、彼の頭の中は。
私はTUBEとか、当時で言えばT-BOLAN(懐かしいですけどね)が好きで、主にアメ車でそんな曲をかけていました。

「ロンドンブーツが10足以上家に飾ってあった」???

完全に彼の妄想は頂点に来ていますね。ロンドンブーツは”ロンドン”じゃないんですか?話はアメリカ続きで来ているのに。
大体ロンドンブーツって、どんなファッションで履けば良いのか見当も付かないし、もちろん買った事も履いた事もありません。

��サーフィン」???

私は25歳で始め、下手なままでした。ただ、私のサーフィンの楽しみは、当時、千葉に住んでいたので千葉の海をこよなく愛し、片貝海岸をベースにサーフィンに月に何度か通っていました。決まって行くのは「海の家:なんぶ」。そこの「りんさん」という初老の女性が気さくなとても良い人で、必ず「なんぶ」でシャワーを借り、ご飯を食べて、雑談(ひどい時は一度も海に入らず、おばちゃんと話をして楽しい時を過ごしていました)。すごく懐かしいです。

彼も私も、決して「波にのまれる事」はあっても、上手に乗れることはありませんでした。これは事実です。

「Lトレーディングに合流してきた」???

私が彼の誘いでロコ・トレーディングの親会社のK社長と会ったのは、確か1996年の9月頃。K社長は東京の練馬で熱帯魚の卸売りで「成功」を収めていた人でした。その輸入関係をこなしていたのがロコ・トレーディングでした。
この会社を使って「新規事業を起こす」のが目的で、松田は確か6月頃に銀行を辞め、そこで働き始めていました。そしてその時来た話が「エビの養殖をマレーシアで行い、日本に仕入れて売る!」という話。「日本人とエビ」という本が出ている位なので、日本人のエビの消費量は、確か世界2、3位。莫大な市場でした。その話を聞いて私はもちろん興味を持ち、その後「ロコ・トレーディングで一緒に頑張ろう!」という彼の誘いで12月銀行を辞め、1997年1月からロコ・トレーディングの新規事業を、松田と共に任される事になりました。それから約8ヶ月の歳月「紆余曲折」しましたが、K氏との関係も崩れ、”我々2人で独立した事業を自分達の資金でやっていこう!”と決めて始めたのがタリーズだったのです。K氏からの援助は、たった4ヶ月で終了。この頃には、松田とK氏の間で対立が起きていて、K氏の会社の一室を借りてやっている我々の肩身はすごく狭かったです。それでもK氏は我々に「出て行け!」とも言わず、影ながら支えてくれていたような思い出があります。

銀行という大組織を飛び出して、「大丈夫、大丈夫!」なんて能天気に振舞えるほど私は大物ではありません。ですから、”コオロギチョコ”や”電磁波防止品”を事業のメインにしていた松田が、最後に「アイスクリームで勝負をしよう!」と言ったところを、”コーヒー事業”に転換させた、私の必至の方向転換(スタバやホブソンズで働き詰めて)でお分かり頂けるでしょう。

””しかし何故ここまで私をこき落としているのか?””

私は、1998年からニュージーランドに渡り、一度はアメリカを目指しますが、「オークランド(NZ)のCafe文化の素晴らしさ」を知り、”アメリカ行きは辞めて、ここに残ろう”と決めました。そして、タリーズが危機に陥った時に、その時働いていた(最終的にはマネージャーとして働いていました)SIERRA;シエラというCafeチェーンを日本の銀座に持っていこうと画策していました。1999年にワーホリを終え、永住権取得の為に日本に一時帰国した折、松田に会いました。(たかだか10分程度でしたが、この時の再会の事も何故か、「会っていない。」と嘘が書かれていますが。)そして「これからNZの永住権を取るんだ!」という話をしたので、もう私が日本には帰って来ない!「”真実”を知るものはいない!俺は成功した!」とでも思い、この本を出版したのではないかと思われます。

そして、当時の銀行の同僚やフェロー達、ひいては、私の友人や知人達もこの本を読んだり、彼がテレビ、雑誌等で「一人で立ち上げてきた成功話」をする度に、記憶に蘇る私、”ミッキー”を闇に葬りたかったんでしょうね。

先日の電話で”実感”しました。普通、こんな事を書いておいて「まだ本読んでなかったの?」「俺はいつかこうして、もう一度話がしてみたかった!」なんてシラジラしい電話の声は、明らかに私が「この本を読んでしまった事」そして、「私の口が開く事」を
恐れている感じに受け取れました。
SIERRA MT EDEN RD


タリーズコーヒー創業秘話 すべては一つの作り話から 6

いよいよクライマックスです。

前回に引き続き、私"ミッキーについて"の内容ですが、
この部分は「共同経営の破綻」どころか”私への誹謗中傷の始まり”だったのです。そして、この本で完全に私は「闇に葬られた”変な”ビジネスパートナー」に成り下がってしまったのです。

オープンして2週間で「事件が起きた」とこの本に書かれています。
但しこれは私が辞める直前の出来事だったはずです。

アルバイトフェローのヒロミちゃんは私の右腕として、
ほぼ毎日一生懸命働いてくれていました。彼の本の内容では”ある日彼女が代表となり、アルバイト全員の私への不満を彼にぶつけてきた。それは「アルバイトを取るか、店長を取るか」という内容”とあります。???

アルバイトフェローは「経験者」と「大学生」に割れていたのは事実です。
私の誘いでスタバから来て貰っていた子達(2名)とヒロミちゃんが店の主力、残りは松田の妹さんのツテで大学生達。大学生は勿論「アルバイト」、スタバから来て貰ってた子達とヒロミちゃんはフリーター。経験の違いもありますが、やはり心掛けが違っていました。勿論、どこにでもあるようなスタッフの構成ですが、大学生達の私に対する文句や愚痴が、直接、彼らの取りまとめ役である妹さんを通じて松田に伝わり、私への「非難」に繋がったのが事件の裏側です。

この本の中で”自分が連れてきた子をひいき・・・”(?)

そんな低レベルな話ではありませんし、スタバに対抗するシアトル派のスペシャリティーコーヒーとして「クオリティ」をアピールしたかったのですし、一杯320円のコーヒーを昨日今日入った未経験者に作らせる程、私はコーヒーをナメていませんでした。フリーターである彼女ら経験者達は、どうしても雑用は減るし、シフトも増えますよね。コーヒーを作れる事はもとより、彼らは、”全て未成熟であるのに、一見、一流に見えるシアトルのコーヒーショップ”(実際はマニュアルは私が作ってましたし、アメリカサイドからの指導等は一度も無かった。)には、必要不可欠な人材でした。開店当時の我々の店では、余剰人員を雇う余裕などなかったですし。(私自身が無給でしたから。)その辺が大学生達には、”ひいき”に見えてしまったんでしょうかね。私も当時「未熟な経営者」だったと思いますから、勿論、不満を感じさせてしまった事はあったかもしれません。

でも「私達を取るか.....」と言われる程、酷い事をした覚えはありません。

そしてこの本に書かれている私の奇行(?)が登場してくるのです。

「休憩に行って、時には3時間.....」

休憩に3時間?酷い濡れ衣です。大体「河童橋」に買い物に行ったら、何分掛かりますか?それに第一、これは仕事です!!食事休憩と言ったって、大体は途中で立ち食いそばや牛丼屋による程度でした。「買い物」=「仕事」ですし、純粋な「休憩」など殆どありませんでしたから。”連絡の取れないパートナー”は、全く当てに出来ず、自分で買い物に行くしかありませんでしたから。”本当は居るはず”の事務所にも彼は居ませんでした。本当に一体、”毎日何をやっていたんでしょうかね!?”
全く情けなく、恥ずかしい話です。

「コーヒーの用意が出来ていない.....」

開店準備が遅れる事はあったかも知れません。
多分、1度位ですが。

「モカのオーダーにショートケーキのホイップを......」

どこからショートケーキが出てきたのでしょう!?
メニューにショートケーキなど存在しません!!
また、例えあったとしても絶対にそんなものは出しません!!!
完全な作り話で、本当に馬鹿げた捏造です。本を沢山売りたいのは分かりますが、もう”いい加減勘弁して欲しい”内容です。

まだまだ続きます。

「ゴミ出しをしていない」

タリーズのキッチンの左奥には外に出れる扉がありました。ある日
、すごく忙しかった日の営業中に、一杯になってしまったゴミ袋を取り換えて、それを店内に置いたまま営業を続ける事は出来ませんので、外に出しておきました。(銀座では当時、夜中に道路にゴミを出しておくと、翌朝までには片付いていました。)その日の営業後、通常のゴミを出し、その脇の扉に隠していたゴミを出し忘れた事があったのは覚えてはいます。確かに「あるまじき事」ではありますが、本に書くほどの内容なんでしょうか?

「アメリカーノに水道水を......」

実は、銀座一号店は今では想像もつかない程”素人の作ったお店”でした。先にも述べましたが、私も朝から晩まで働いても無給な位、全く資金にゆとりが無く、細部まで注意が行き届かないまま、半ば強引にオープンに踏み切りました。(既に銀座の一等地での家賃が発生していた為。)そこで、水道に浄水器は取り付けたのですが、見た目には判らなかった。確かに、オープン当初、水を入れて薄めるアメリカーノは、この水を直接、蛇口から入れていました。でも、これは当初の私と彼の苦肉の策だった筈ですし、その後、何日か営業を重ねて、”見栄えが良くないから、ピッチャーを買って、それに入れよう”という案が出てきたのです。
何故、私だけが悪者に?

極めつけはこの部分です。

「上が大変な事になっているのに、地下の事務所で優雅に.....」

私が地下でタバコをふかしていたのは、本来、彼が勤務すべき時間(私のその日の勤務は終わっているはずの時間。)でした。パートナーと度々、連絡が取れず、また、彼が何度も出勤予定をすっぽかして、更に、稀に出て来た日すら遅刻して来る。肉体的にも精神的にも彼への不満が限界でした。”同じ立場のはずの人間が、殆ど予定通りに来ないし、連絡すらもままならない”事への怒りと不信感”が頂点に達し、とても”優雅”という言葉とは懸け離れた「鬼の形相」だったはずです。

”上が大変?”

もし、それを素通りして、私を呼ぶ為にわざわざ下まで降りて来たあなたは真の経営者なんですか?(なぜ、自らエプロンを付け、すぐにサービスに入らないのですか?)

そして、この会話の部分で私の言い分は完全に消去されています。

逆切れではありません。
重要な資金繰り、及び会社の運営に関わる話だったのです。私は資金繰りに疑問を持っていましたので、その為に”彼を待っていた”のです。つまり遅れて出勤した挙句、私に責任を押し付け、自分の主張は正当化するも、肝心の内容ははぐらかす。先日、日本からわざわざ電話して来ましたが、その電話の内容もやっぱり一緒でした。彼はあの時と、少しも変わっていませんでした。
「自分がシフトに遅れる事は「正当化」し、それによってフェローにしわ寄せが来ても、全て「店長(本当は共同経営者)の勤務態度に問題がある!」という理論なのです。

これはどう考えてもおかしいと思いませんか?

「最後には私(ミッキー)が店を飛び出した!.......」

これにはまだ続きがあります。

最後に店で勤務した日に、私は店の売上金(一日分)を預かりました。確か10数万円のお金です。これは、”彼が資金繰りを隠蔽していた事”に対する強硬手段だったのです。
彼には電話で”その日の売り上げを持ち帰った事”と「次の日はお前が朝から店に出ろ!俺が入金に行くから通帳と印鑑を用意してくれ!」と伝えました。

何故、私が店の売上金を家に持ち帰ったのか?

ここが最重要ポイントなので、詳しく説明させて頂きます。

タリーズのオープン当時の売上げは、たかだか月350万円位でした。私も毎日、店で売上げ管理していますので、その位覚えています。前にも述べていますが、”資金繰りがすごくグレー”で、私に隠そうと(?)いや隠し続けていたのです。私は当然、共同経営者として「資金繰り」は心配です。何故なら、私の所持金は殆どゼロに近く、”会社が潰れては困る!”(担保も提供してますし)と毎日心配でした。何故なら彼は、私に”オープン前から会社の銀行通帳を見せてくれず”(しかも明らかに意図的に)、再三に渡って「通帳を見せてくれ!」と頼んでも、「今日は持ってない。」とか「忘れた。」なんて調子で、私の不信感はどんどん募りました。当時はインターネットバンキングも出始めだったので、銀行通帳による記帳が主流だった時代です。
本当に考えられない事でしたが、当時、輸入も始めたばかりで、
その辺の業務は彼がやっていましたので、銀行印は彼がいつも持ち歩いており、私はキャッシュカードすら持っていなかったのです。
この時点で完全に会社を「私物化」していたんですよね。自分(彼)は家族や親戚の出資を含めても、1000万足らずなのに、共同経営者の私を”店長扱い”して、会社の共同運営を無視して、私に責任を押し付けて、”店の運営までをも「私物化」”使用していたのです。

ロコトレーディング通帳

共同経営って”怖い”ですよね。
ほんの2ヶ月前迄は、お互いパートナーとして「疑う事を知らなかった筈」なのに、です・・・。

先の事務所の言い争いは「資金繰り」を公開しない、または隠し続けるビジネスパートナーに対する不満の爆発、そして私なりに考えた最後の手段だったのです。

”売上金を私が入金すれば良いのだ!”という、目からうろこの単純な作戦・・・。

売上金を入金しなければ、約定の決済とか支払い手続き等が滞る為
、「必然的に」通帳を持って来るだろうし、忘れないはずだ!<悲しい事に、私が銀行通帳(しかもコピーですよ!)を入手出来たのは私が取締役を退任し、タリーズを完全に抜ける書類の印鑑を押した日の事でした。>

期待を持っていた翌朝、”とんでもない事”が店では起きていました。

フェロー(スタバから私が頼んで働いてくれていた子)から電話を受け、私は”信じられない体験”をする事になりました。

早朝、「松田による大号令」があった、と・・・。

それは・・・

ミッキーが、
��売上金を盗んだ!
��店の周りをウロウロしているから気を付けろ!
��絶対に店に入れるな!
��火を付けるかもしれない!

という”酷過ぎる内容”が当時のフェロー全員に伝達されたのです。

「..........。」


共同経営者で、担保分も含めて総額4600万もの債権を保有している代表取締役が、”10数万円の売上金を一晩、家に持ち帰った
��共同経営の片割れ、松田の不審な行動による業務上の行為として
。)事”で「泥棒扱い」されたのです。

こんな屈辱を味わった事ありますか?
そしてこのパートナーとこれから上手くやっていけますか?

彼は完全にイカレてる。
私はそう悟りました。

この事件で”全て”が終わりました。

私が辞める前に、ヒロミちゃんからの電話でこの事件の裏側と「大号令」の内容、その前後の「作り話」の全てを知り、私の彼への「怒り」は頂点に達しました。「汚いヤツだ!」何も知らないアルバイトの大学生や中心スタッフまで巻き込んで。彼女は突如、よそよそしくなった私への態度や、言動の謝罪をして来て、その理由が「松田から言われた事を真に受けて、全て信じてしまった!」と涙ながらに語ってくれました。この告白の後、彼女もまた、タリーズを辞めました。(スタバの子達も事件後まもなく辞めました。)

これがヒロミちゃんを巻き込んだ大事件の全貌です。

私は辞める前に松田を問い詰めたのですが、「俺は誰がそんな事を言ったのか知らない、調べておく。」とはぐらかし、結局私は、この時「白黒つける事」よりも、「身を引く事」を選択してしまったのです。あの時、徹底的に追求しておけば良かった、と今更ながら後悔しています。でも、あの時タリーズを”ぐちゃぐちゃにしてしまう事”はリスキーに思えたんですよ。しかしそれは、自分の”甘さ”だったんですね。

何故なら私は、彼に”こんな本”(捏造と妄想)で更に追い討ちを掛けられているとは露知らず

私、及び私の家族は、そんな彼に対し
無事、全ての債権が完済されてから、ほんのつい最近まで(文春さんからの本の抜粋を読むまで。)「タリーズの成功」そして「担保を手放さなくて済んだ事」への、彼への”賞賛、
更に感謝”すら感じていたのです。

本の「価値」を本当に理解してこの本の「著者」は書いているのでしょうか?

真実を知る私には、”このような事”を書いて、10万部=10万の人を欺いている行為(そして印税という代価を受け取っている)は許しがたいです。

そして「本」は一生残ります。

私が気付いた(というより、週刊文春さんが教えてくれたのですが。)から良かった(それでももう、8年間も前から出版されています。)のですが、もし気付かなければ、私は一生「生き恥」をさらして生きていく事になりました。

しかも「松田公太」という、ビジネスでは成功を収めて、現在参議院議員として「国政」を司る”一人の人間の成功の裏側”で・・。